レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2009/10/28 16:53
- 更新日時
- 2011/03/31 09:45
- 管理番号
- 09-032
- 質問
-
[図書館展示準備調査 明治法典制定への道]
箕作麟祥によるフランス民法翻訳事業の作業状況と当事者の心境など。
- 回答
-
①まずは『法窓夜話』に以下の記述がある。
【六一 フランス民法をもって日本民法となさんとす】
維新後における民法編纂の事業は、明治三年に制度局を太政官に設置せられたのに始まったものである。
当時江藤新平氏は同局の民法編纂会の会長であったが、同氏は「日本と欧洲各国とは各その風俗習慣を
異にすといえども、民法無かるべからざるは則ち一なり。宜(よろ)しく仏国の民法に基づきて日本の民法を
制定せざるべからず」という意見を持っておった。右は同氏の伝記「江藤南白」に掲げてあるところであるが、
その「仏国の民法に基づきて」という言葉の意味は、如何なる程度においてフランス民法を採ろうとしたもの
であるか、如何様にも解せられるが、これを江藤氏の勇断急進主義より推し、また同書の記事に拠って見る
と、敷き写し主義に依って殆んどそのままに日本民法としようとせられたもののようである。初め制度局の民
法編纂会が開かれた時、箕作麟祥博士をしてフランス民法を翻訳せしめ、二葉(によう)もしくは三葉の訳稿
なるごとに、直ちに片端からこれを会議に附したとの事である。また江藤氏が司法卿になった後には、法典
編纂局を設け、箕作博士に命じてフランスの商法、訴訟法、治罪法などを翻訳せしめ、かつ「誤訳もまた妨げ
ず、ただ速訳せよ」と頻(しき)りに催促せられたとの事である。箕作博士が学者としての立場は定めて苦しい
事であったろうと思いやられる。しかも江藤氏はこの訳稿を基礎として五法を作ろうとし、先ず日本民法を制定
しようとして「身分証書」の部を印刷に附した。磯部四郎博士の直話に依れば、当時の江藤司法卿の説は、
日本と西洋と慣習も違うけれども、日本に民法というものが有る方がよいか無い方がよいかといえば、それ
は有る方がよいではないかという論で、「それからフランス民法と書いてあるのを日本民法と書き直せばよい。
そうして直ちにこれを頒布しよう」という論であったとの事である。
この話は「江藤南白」にも載せてあり、また我輩もしばしば磯部博士から直接に聞いたことがある。
今よりしてこれを観れば、江藤氏の計画は実に突飛極まるものであって、津田真道先生はこれを評して「秀
吉の城普請(しろぶしん)のように、一夜に日本の五法を作り上げようとするは無理な話で、到底出来ようは
ずがない」と言い、同先生にもやれと言われたけれども、出来ぬと言って、江藤氏の命を受けなかったという
ことである。先生の達見は実に敬服の至りである。洲股(すまた)の城普請は土木工事であるから、一夜に
出来たかも知れぬが、国民性の発現なる法律は、一夜の内に変えることは出来ない。
しかしながら、始めに江藤氏の如き進取の気象の横溢した政治家があって突進の端を啓き、鋭意外国法の
調査を始めたからこそ、後年の法制改善も着々その歩を進めて行くことが出来たのである。我邦の如く数千
年孤立しておった国民が、俄然異種の文化に接触した場合には、種々の突飛な試験をして見て、前の失敗は
後の鑑戒となり、後ち始めて順当なる進歩をなすに至るのは、やむを得ぬ事である。現に民法編纂の沿革か
らいうても、初めは江藤氏の敷写民法で、中ごろ大木伯らの模倣民法となり、終に現行の参酌民法となったの
である。
【六二 民権の意義を解せず】
明治三年、太政官に制度局を置き、同局に民法編纂会を開いた時、江藤新平氏はその会長となった。当時
同氏はフランス民法を基礎として日本民法を作ろうとし、箕作麟祥博士にフランス民法を翻訳させて、これを
会議に附したことがあった。その節、博士はドロアー・シヴィールという語を「民権」と訳出されたが、我邦にお
いては、古来人民に権利があるなどということは夢にも見ることがなかった事であるから、この新熟語に接し
た会員らは、容易にこの新思想を理会しかね、「民に権があるとは何の事だ」という議論が直ちに起ったので
あった。箕作博士は口を極めてこれを弁明せられたけれども、議論はますます沸騰して、容易に治まらぬ。そ
こで江藤会長は仲裁して、「活かさず殺さず、姑(しばら)くこれを置け、他日必ずこれを活用するの時あらん」
と言われたので、この一言に由って、辛うじて会議を通過することが出来たということである(「江藤南白」)。
「他日必ずこれを活用するの時あらん」の一語、含蓄深遠、当時既に後年の民権論勃興を予想し、これに依っ
て大いになすことあらんとしたものの如く思われる。しかも、南白は自己の救いたるこの「民権」の二字を他日
に利用して憲政発達のためにその鋭才を用いるに至らず、不幸征韓論に蹉跌して、明治の商鞅となったのは、
実に惜しいことである。
②『法窓夜話』でも紹介されている『江藤南白』には、江藤の動向ならびに箕作の“実話”などが収録されており、
当時の翻訳事業を取り巻く状況を伺うことができ、興味深い。
③大槻文彦編『箕作麟祥君伝』にも箕作自身の発言記録あり。
「それから間もなく明治の御一新になりましたが、素より法律書はのぞいて見たこともなかったが、明治二年
に明治政府から「フランス」 の刑法を翻訳しろと云ふ命令が下りました。(其時分は大学南校と云ふ所に勤め
て居りました。)そんな翻訳を言付けられても、ちっとも分りませんだった。尤も、全く分らぬでも無いが、先づ
分らぬ方でありましたが、どうかして翻訳したいと思ふので、翻訳にかかったことはかかりましたところが、註
解書もなければ字引もなく、教師もないと云ふやうな訳で、実に五里霧中でありましたが、間違ひなりに、先づ
分るままを書きました。其後、続いて民法、商法、訴訟法、治罪法、悪法などを訳しましたが、誠に朦朧とした
ことで翻訳をしました。諸君も御承知でござりませうが、それを文部省で木版に彫りまして、美濃判の大きな
間違ひだらけの本を拵へました。
其本は実に、分らないことだらけでありました。また分っても、翻訳語が無いので困りました。権利だの義務
だのと云ふ語は、今日では、あなた方は訳のない語だと思ってお出ででありませうが、私が翻訳書に使ったの
が大奮発なのでござります。併し何も私が発明したと云ふのでは無いから、専売特許は得はしませぬ (喝釆、
笑)。支那訳の万国公法に「ライト」と「オブリゲーション」と云ふ字を権利義務と訳してありましたから、それを
抜きましたので、何も盗んだのではありませぬ。また、新規に作りましたのは、動産だの不動産だのと云ふ字
で、今日では政府の布告にもあるやうになりましたが、これを使ふのは、実に非常なことであったのです(喝釆)。
(中略)
明治政府は頻に開明に進み、其翌年、明治三年には、太政官の制度局と云ふ所に、其時、江藤新平と云
ふ人が中弁をやって居りましたが、民法を二枚か三枚訳すと、すぐそれを会読にかけると云ふありさまであり
さまでした。これは変は変だが、先づ日本で民法編纂会の始まりました元祖でござります(喝采)。
※加藤周一, 丸山真男校注『翻訳の思想』 岩波書店 , 1991.9が読みやすい。
④あとは明治・大正・昭和の読売新聞 CD/DVD-ROMで検索
キーワード : 箕作麟祥
掲載日 : 明治7年11月2日~大正1年7月31日
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
- 『法窓夜話』 (穗積陳重著 , 東京 : 有斐閣 , 1916.)
- 『江藤南白』 (的野半介編 , 東京 : 南白顕彰会 , 1914)
- 『箕作麟祥君伝』大槻文彦著 , 丸善 , 1907 ( http://kindai.ndl.go.jp/BIBibDetail.php)
- 『翻訳の思想』 (加藤周一, 丸山真男校注, 岩波書店 , 1991.9)
- キーワード
-
- 箕作麟祥
- 民法翻訳事業
- 江藤新平
- 制度局民法編纂会
- 誤訳もまた妨げず
- 磯部四郎
- 大学南校
- ライト
- オブリゲーション
- 展示
- 明治法制
- 江藤南白
- 照会先
- 寄与者
- 備考
-
関連事例
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059051
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059035
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059031
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000047244
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059052
https://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000059056
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000059056
- 関連ファイル