レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2009/10/28 11:32
- 更新日時
- 2011/03/31 09:43
- 管理番号
- 09-030
- 質問
-
解決
[図書館展示準備調査 明治法典制定への道]
フランス民法典の翻訳について
- 回答
-
■フランス民法典の翻訳
フランス民法典の翻訳にいたる経緯に関する文献は多々あるが、
ここでは前田達明編『史料民法典』所収 「仏蘭西法律書 民法」解題から以下一部を引用したい。
「一 明治維新政府の法典編纂事業は、まずフランス民法典の編纂から始まった。その理由としては、
当時の法典編纂主導者であった江藤新平が、「富国強兵の為には、先ず民法典を編纂して国民の位
置を正しく」しなければならないと確信していたからである。-(中略)-「不平等条約」の撤廃(治外
法権の撤廃と関税自主権の回復)のために諸外国から「泰世主義(Western Principle)」に基づく
法典の編纂を要求されていたわけであるが、その「泰世」における最も完備した民法典ということにな
れば当時ではフランス民法典ということであったからであろう。さらに、明治維新政府は幕臣であった
知識人を多く登用して外国文化の導入に彼等を利用したので、必然的に「幕府の遺産」というべきフラ
ンス民法典の翻訳がまず行なわれたのであろう。幕臣栗本鋤雲(くりもとじょううん)は慶応三(1867)
年にパリ万国博覧会への幕府使節の一人としてフランスへ行きフランス民法典を知ってその邦訳を計
画したといわれ、そして、その施設に随行した幕臣箕作麟祥(ミツクリリンショウ)が明治維新政府に出
任し、明治三(1870)年1月太政官に設けられた「制度(収調)局」(制度分局)の長官江藤新平の下」
で、その翻訳にあたり、明治四(1971)年にそれを完成させた。
二 フランス民法典は、1804年に制定されたもので、ナポレオンによって任命された四人の起草委員
によって起草され立法委員会の討議にかけられ、その討議はナポレオン自身がしばしば主催したとい
われる。フランス民法典は、ドイツ民法典や日本民法典と異なり、古典期ローマ法学者ガーイウスの
「イーンスティトゥーティオーネス」(法学提要)の体系に倣っている。そして、このフランス民法典はナポ
レオンのヨーロッパ征服によって、ヨーロッパ各国に施行され、またヨーロッパ外においてもフランスの
植民地などにおいて範とされていた。―(中略)―以上のような主題からして、日本民法典を語る上で、
箕作麟祥の翻訳したフランス民法典の果たした役割は極めて大きいといえる。」
■「仏蘭西法律書 民法」とナポレオン法典
麟祥翻訳の『佛蘭西法律書』は、刑法(五冊、明治三年)、民法(十六冊、同四年)、憲法(一冊、同六年)、
訴訟法(八冊、同六年)、商法(五冊、同七年)、治罪法(五冊、同七年)の和装木版40冊からなる。近代
法典の姿を初めて日本に知らしめた貴重な史料である。神奈川大学図書館では、民法全十六巻と、刑法
全五巻を所蔵している(「憲法」と「訴訟法」は再版の所蔵あり)。また、麟祥は校正をかさね、活版印刷が
始まったのを機に、明治八年(1875年)に『仏蘭西法律書』上・下巻を印書局から発行した。この上下巻
は、神奈川大学法学研究所にて所蔵している。
『佛蘭西法律書 民法』第一巻を開くと、“原名「コードナポレオン」”の記載があり、いわゆるナポレオン法
典の翻訳であることがわかる(関連画像参照)。また、原語に対応する日本語が無いため、やむなくカナ書
きで標記されている箇所が散見される。翻訳に際しての箕作の苦労が伺える。
■「大学南校」
『仏蘭西法律書』を開くと「大学南校」と記されている。これは東京大学の前身の一つであり、幕府の創立
した開成所の後進の開成学校が明治に二年に改称したものである。
■「辻士革」
同じく、『仏蘭西法律書』を開くと「辻士革」と記されている。これは人物名であり、編輯寮中属十等出仕であ
る(明治五年「官員録」)。
黒田綱彦の回想にはよれば「ここに、辻士革と云う人がありました。此の人は、へいへいした漢学先生で、
妙な人であったが、麟祥先生から「かういふ意味の字は」と聞かれると、「それなら、かういふ字では、どうで
ございませう」と言って、字の工夫をする、それで麟祥先生が、翻訳をされると辻士革が目を通すことになり
ました」(「箕作麟祥君伝」)とある。
■「大博士」「中博士」とは
箕作の名前の前に、「大博士」や「中博士」とある。これらの言葉については、石井研堂『明治事物起源』
第七編に以下のように説明されている(ちくま学芸文庫版 第4巻320頁)。
<大博士>
「谷中天王寺五重塔前の墓地内に、「故大学大博士佐藤尚中之碑」あり、率然見るときは、「大博士」とて、
一段上級の博士ありしがごとくなれども、こは官名にて、学位にあらず。大中少博士主簿などと、古典より出
せし、その中の官名なり。―(中略)― 明治二年六月八日の官制をもつて、大学に大・中・少博士を置く、
奏任官なり。また四年八月十日の官制には、文部省に大・中・少博士を置く、大・中は勅任なり。五年九月
これを廃し、大・中・少教授とす。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 前田達明編『史料民法典』所収 「仏蘭西法律書 民法」解題
- キーワード
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- フランス民法典
- 江藤新平
- 泰世主義
- Western Principle
- 栗本鋤雲
- パリ万国博覧会
- 箕作麟祥
- フランス法典
- 仏蘭西法律書
- コードナポレオン
- 展示
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 図書館
- 登録番号
- 1000059051
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