レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/12/2
- 登録日時
- 2021/09/11 00:30
- 更新日時
- 2021/09/11 00:30
- 管理番号
- 滋2021-0004
- 質問
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解決
旗本朽木氏一族について調べている。
朽木一族が治めた地域の市町村史料などに、寛政以降の朽木氏の当主を記した資料があるか、また、当主が誰だったのか、知りたい。
- 回答
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市町村史資料は次のとおりです。
1.『朽木村史』通史編
「江戸時代以降の朽木家分家一覧」の系図を掲載しています。寛政年間以降の子孫は「栄綱(よしつな)」と「賢綱(やすつな)」が書かれています。
朽木家は宣綱(のぶつな)を祖とする朽木本家と、友綱を祖とする万木朽木家、稙綱(たねつな)を祖とする福知山朽木家に枝分かれしますが、寛政年間以降の子孫は、朽木家本家の「大綱(おおつな)」と「之綱(のぶつな)」、朽木家本家の旗本にあたる「綱利(つなとし)」、万木朽木家では「栄綱(よしつな)」および「賢綱(やすつな)」、福知山朽木家の分家には「綱弘(つなひろ)」が記されています。
2.『今津町史』第2巻
朽木家の系図があります。朽木元網を祖として枝分かれし、系図の最後は、「金綱」、「綱利」、「朽木勇太郎」、「綱貞」、「綱弘」で終わります。
3.『安曇川町史』
「福知山藩」を取り上げており、「福知山藩朽木氏略系図」と「朽木五家略系譜」が掲載されています。なお、「福知山藩朽木氏略系図」の註には「『寛政重修諸家譜』及び『福知山市誌』による」と補記されています。
この図では、元網を祖として「宣綱」「友綱」「稙綱」を子とし、宣綱の下に括弧書きで「旗本・朽木本系」、友綱の下に括弧書きで「旗本・東万木朽木」とあります。また、「朽木五家略系譜」は「佐々木定綱」を祖とした系図です。
4.『高島郡誌 全』
「朽木氏歴代」に「義綱」以降の当主が記載されています。「朽木本系知行所」の項に、「大綱 縫殿。天保十二年閏正月家督を嗣ぐ。元治元年正月二十二日死す。(改行)之綱 主計助、天保十四年十二月養子となる。安政四年七月二十七日家督を嗣ぐ。明治三十三年死す。年七十一。」とあります。また、「朽木友綱知行所」の項には、「寛政九年十月晦日百人組の頭に転じ、十年五月晦日御持筒の頭にうつる。」と書かれており、「栄綱」の後に「賢網 甲太郎、比後の世代詳ならず、維新の際は朽木勇太郎代なり。」と記しています。
5.『滋賀縣八幡町史』上巻
「朽木領時代」の章に、「綱弘の逝去によって、文政八年正月子息弥市郎綱常が家督を相続し、四月寄合席を命ぜられた。」とあり、綱常や朽木代官所についても書かれています。
③『福知山市史』第3巻
「朽木家の時代」には、「十一代 綱條」、「十二代綱張」、「十三代為綱」の経歴等が書かれています。
その他では、『寛政譜以降旗本家百科事典』第2巻に、朽木家の家系が紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 寛政重修諸家譜 第7 続群書類従完成会 1965年 R-2882-7
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2 朽木村史 通史編 朽木村史編さん委員会∥編集 滋賀県高島市 2010年 SB-2112- 10 p.112 -
3 今津町史 第2巻 近世 今津町史編集委員会∥編集 今津町 1999年 S-2113-2 p.25,105-106 -
4 安曇川町史 安曇川町史編集委員会∥編 安曇川町役場 1984年 S-2115- 84 p.515-517,525-527 -
5 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72 p.561-569 -
6 滋賀縣八幡町史 上 通説 八幡町∥編 清文堂出版 1969年 S-2141-1 p.311-315 -
7 福知山市史 第3巻 福知山市史編さん委員会∥編 福知山市役所 1984年 5-2105-3 p.135-151 -
8 寛政譜以降旗本家百科事典 第2巻 小川恭一∥編著 東洋書林 1997年 R-2810-2 p.993-997
- キーワード
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- 朽木氏
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304542