レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/11/28
- 登録日時
- 2019/12/26 00:30
- 更新日時
- 2019/12/26 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0027
- 質問
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解決
芭蕉の句 「草の戸に 日暮れてくれし 菊の酒」について、以下のことを知りたい。
(1)芭蕉がこの句をいつどこで詠んだか。また、その出典となる資料名
(2)この句を作句した年
(3)乙州が付句をした時期
(4)乙州の住所(現在地)と経歴
(5)句碑の現在地
- 回答
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(1)芭蕉がこの句をいつどこで詠んだか。また、その出典となる資料名
『淡海の芭蕉句碑 (下)』では次のように解説されています。
「……(略)芭蕉48歳の秋の作句である。『笈日記』に出てくる俳句だ。菊の酒だから9月9日で重陽の節句にのむ酒で、古くから長寿を祝う酒とされている。/この句の前に「9月9日、乙州が一樽をたづさへ来りけるに」とあります。
したがって、元禄4年の9月9日、芭蕉が粟津無名庵についた時、夕暮れになって門人の河合乙州が酒を持ってきてくれたので一句詠んだというのだ。」
以上のことから、時期は1691年(元禄4年)9月9日、出典は『笈日記』(各務支考著)ということになります。
なお、下記(4)でも回答資料として挙げている『総合芭蕉事典』によれば、乙州の苗字は河合もしくは川井で、次郎助・又七の通称でと呼ばれていたとあります。
(2)この句を作句した年
元禄4年(1691年)です。『芭蕉事典』冒頭に収められている松尾芭蕉の編年体の生涯を辿ったところ、「元禄4年(1691年)9月」の箇所に「九月、乙州が酒一樽を携えて訪問、唱和があった(『笈日記』)。」とあり、『笈日記』にも、「おなじ年九月九日、乙州が/一樽をたづさへ来りけるに」との文が添えられて「草の戸や日暮てくれし菊の酒」が詠まれています。
なお、『笈日記』に記載されている該当箇所は「湖南部」で、その冒頭に「元禄三年の秋ならん、木曾塚の旧草にありて、敲戸の人ゝに対す」とあるため、以後の文章も元禄3年(1690年)と混同されるかもしれませんが、続く「三夜の月」の冒頭で「是もむかしの秋なりけるが、今年は月の本すゑを見侍らんとて、待宵は楚江亭にあそび、十五夜は木そ塚にあつまる。」と記述された「むかしの秋」は元禄3年(1690年)とは異なるという意味での「むかし」と考えられます。
上記『淡海の芭蕉句碑 (下)』でも元禄4年説が採用されていましたが、『芭蕉年譜大成』においても、『笈日記』を典拠として、元禄4年(1691年)8月14日に「大津、楚江宅で待宵の会あり。路通・支考らも同席」、翌15日に「木曾塚草庵(無名庵)で月見の会を催す」と記載されており、芭蕉研究者のあいだでは、『笈日記』の該当箇所は元禄4年(1691年)と解釈されていることが確認できます。
(3)乙州が付句をした時期
上記(2)で回答しました通り、元禄4年(1691年)の9月9日です。
(4)「乙州の住所(現在地)と経歴」について
乙州の住所、とりわけ元禄4年(1691年)の乙州の居住地については、荒滝雅俊氏による論文「「乙州が新宅」考」(『解釈学 第16輯』所収)において、詳しく論じられており、「乙州の新宅が(現・大津市の――引用者註)肥前町に隣接する松本村内にあった」と推測しています。この結論に至るまでの詳細は同論文を御一読ください。
次に、乙州の経歴ですが、こちらは『近江の芭蕉』に、次のように簡潔にまとめられています。「河合乙州 明暦3年(1657)~享保5年(1720) 大津の荷問屋・伝馬役左右衛門の妻河合智月の弟。姉の養子になる。江左尚白の門人だったが、元禄2年(1689)7月に乙州は、商用で金沢に行き、『おくのほそ道』の旅の途中であった芭蕉と出会って入門。以後、智月・妻荷月と共に芭蕉の信頼厚く、元禄2年の冬には芭蕉を自宅に招き、天(※原文ママ――引用者註)禄3年冬には句54「人に家を」では彼が買った家で芭蕉が過ごすなど、師の経済生活を支え、献身的に尽くしている。彼の日頃の好意に感謝して、乙州が江戸へ下る際に芭蕉は、句63「梅若集」の餞別の句も詠んでいる。また、加賀・江戸への家業の旅を通じて、蕉風伝播者の役割も果たし、「猿蓑」などに入集している。元禄7年(1694)大坂で師の死をみとり、宝永6年(1709)芭蕉の遺稿『笈の小文』を独力で刊行した」。
また『総合芭蕉事典』の「乙州」の項には、桜井武次郎氏の文責で、もう少し詳しい経歴が記載されており、参考文献として『俳人評伝 下(俳句講座 3)』(明治書院 1959年)所収の尾形仂著「河合乙州・河合智月」という論文を挙げておられます。
この資料は、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。
(5)句碑の現在地
この句碑は、大津市馬場町ときめき坂に建立されています。交通手段および降車駅は、京阪電鉄石坂線京阪膳所駅もしくはJR琵琶湖線膳所駅を下車、そこからすぐのところにある児童公園横の「ときめき坂」と呼ばれる地所に、句碑があります。詳細は、回答資料にある『淡海の芭蕉句碑 (下)』の該当ページに書かれています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
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- 1 古典俳文学大系 6 蕉門俳諧集 1 集英社 1976年 2-9113-6 p.440(笈日記),p.458(句)
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2 日本俳書大系 3 蕉門俳諧 後集 日本俳書大系刊行会 1926年 2-P308-3 p.20(句) -
3 芭蕉辞典 飯野哲二∥編 東京堂 1960年 3-9113-イ p.388(句) -
4 芭蕉事典 松尾 靖秋∥ほか編 春秋社 1978年 R-9113-マ p.21(元禄4年9月),p.496(年譜) -
5 芭蕉年譜大成 今栄蔵∥著 角川書店 1994年 3-9113-マ pp.228-249(元禄3年4月6日から7月23日まで幻住庵滞在、pp.300-304(元禄4年8月14・15日、同年9月9日) -
6 淡海の芭蕉句碑 下 乾憲雄∥著 サンライズ出版 2004年 S-9200-2 p.106(句碑) -
7 近江の芭蕉 いかいゆり子∥著 いかいゆり子 2015.4 S-9200- 15 p.226(乙州の略歴) -
8 俳諧人名辞典 高木蒼梧 巌南堂 1970年 R-9113-タ pp.218-219(乙州の略歴) -
9 総合芭蕉事典 尾形 仂∥ほか編集 雄山閣出版 1982年 R-9113-マ pp.239-240(乙州の略歴) -
10 国書総目録 第2巻 か-く 岩波書店 1989年 L-0251-2 p.404(きさらぎ) -
11 俳文学大辞典 尾形仂∥[ほか]編 角川書店 1995年 R-9113-オ p.202(きさらぎ) -
12 島崎藤村事典 伊東一夫∥編 明治書院 1982年 R-9102-シ pp.416-417(松尾芭蕉) -
13 解釋學 第16輯 解釈学事務局 1996年 S-9211- 96 pp.66-72(「乙州が新宅」考)
- キーワード
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- 河合乙州
- 川井乙州
- 松尾芭蕉
- 笈日記
- 各務支考
- きさらき
- 幻住庵
- 俳句
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- その他
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000271601