レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2008年09月05日
- 登録日時
- 2008/09/05 17:07
- 更新日時
- 2018/12/27 09:40
- 管理番号
- NIER2008099
- 質問
-
解決
東京女子師範学校教授だった篠田利英が文部省の視学官だった期間を知りたい
- 回答
-
文部省の視学官としての在任期間は不明
ただし、明治26年に視学官だったことは官報で確認できる(2018/12/27追加)
※官報3000号(明治26.6.30)
p.366 「長崎鳥取広島山口大分宮崎六県下ヘ出張ヲ命ス 文部省視学官篠田利英」
官報3064号(明治26.9.13)
p.113 叙任及辞令 叙従五位「文部省視学官兼女子高等師範学校教授従七位 篠田利英」
以下、その他資料による情報
①「近代日本海外留学生史」(P.563)には以下の記述あり
篠田利英が明治20年5月に師範学科取り調べのために米国に留学し、
23年に帰国後ただちに女子高等師範学校教授となって、ついで付属小学校主事を兼任し、
さらに文部省視学官兼女子高等師範学校教授となり、間もなく高師教授だけに専任した
②「文部省職員録」明治23~37年(当館所蔵分と国会図書館デジタルコレクション)
以下、各年の「篠田利英」の記載の有無
明治23年7月=視学官・なし/高等師範学校・あり
明治23年12月=視学官・なし/女子高等師範学校・あり
明治24年12月=視学官・なし/女子高等師範学校・あり
明治27年12月=視学官自体がなし*/女子高等師範学校・あり
明治28年12月=視学官自体がなし*/女子高等師範学校・あり
明治30年5月=視学官自体がなし*/女子高等師範学校・あり
明治37年8月=視学官・なし/女子高等師範学校・あり
*視学官
明治26年10月に一度廃止。明治30年10月に復活。大正元年6月に「督学官」に改称(③「学制百年史」p.422-423による)
- 回答プロセス
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以下のの3つの視点から調査
<東京女子師範学校教授>
当館所蔵の東京高等女子師範学校(現お茶の水女子大学)の記念誌を調査した結果、
④「東京高等女子師範学校六十年史」の明治25年4月24日の皇后陛下御通覧順序の項に
『第2年級 教育 教授 篠田利英』との記載があった。
<文部省視学官>
②「文部省職員録」を当館所蔵分と国会図書館近代デジタルアーカイブで閲覧可能なものを調査した。
(回答のとおり)
<海外留学生>
⑤「幕末明治海外渡航者総覧」p.447に渡航先、渡航時期、留学先、帰国後勤務先などの記載があった。
出典/参考文献に ①「近代日本海外留学生史」、「大正人名辞典」(当館所蔵なし)とあり①を調査した。(回答のとおり)
⑥「近代日本の海外留学史」p.249に
『師範教育関係の留学者には・・・篠田利英(東京高師教員、22年、アメリカ)・・・」との記載があった。
- 事前調査事項
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篠田利英 明治15年東京高等師範学校卒業、群馬県師範学校の教師となる。
明治19年東京高等師範学校にて教鞭をとり、
明治20年文部省の海外留学生としてアメリカに学ぶ。
帰国後東京女子師範学校へ勤務し文部省視学官になる。
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
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①近代日本海外留学生史 / 渡辺實著. 上巻, 講談社, 1977.
【当館請求記号】377.6||25||1 -
②-1 文部省職員録. 文部省,
【当館請求記号】370.35||14||1890 -
②-2 国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/ -
③-1 学制百年史 / 文部省編.
記述編, 資料編. -- 帝国地方行政学会, 1972.
【当館請求記号】372.1||126 -
③-2 学制百年史(文部科学省HP)
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_074.html - ④ 東京女子高等師範學校六十年史 / 東京女子高等師範學校[編]. 1934.【当館請求記号】377.413||301
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⑤幕末明治海外渡航者総覧 / 手塚晃, 国立教育会館編.
第1巻, 第2巻, 第3巻. -- 柏書房, 1992.---||【配置】19階書庫1 【請求記号】281.03||36||1 - ⑥近代日本の海外留学史 / 石附実著. 1972.【当館請求記号】377.6||4
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①近代日本海外留学生史 / 渡辺實著. 上巻, 講談社, 1977.
- キーワード
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- 視学官
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000047107