レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/10/01
- 登録日時
- 2021/11/06 00:30
- 更新日時
- 2021/11/06 00:30
- 管理番号
- 滋2021-0017
- 質問
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解決
大溝藩の江戸屋敷(上・下)の、江戸時代と現在の地図の重ね図の資料を知りたい。
調査済み事項
『奈良大学紀要』第11号の12頁に、「大溝藩の江戸屋敷は芝愛宕下に上屋敷、白金村に下屋敷」とあり。
また、高島町史402Pには芝愛宕下二葉町に上屋敷3008坪、白金村に下屋敷6200坪と書かれています。
- 回答
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当館所蔵の資料では、大溝藩の屋敷の所在地が以下の3冊で確認できます。
『大江戸今昔マップ』(上屋敷:掲載36頁、下屋敷:掲載44~45頁)、『嘉永・慶応新・江戸切絵図』(上屋敷:掲載34~35頁、下屋敷:掲載88~89頁)、『江戸東京切絵図散歩 』(上屋敷:掲載68~69頁、下屋敷:掲載80~81頁)
1.大溝藩の江戸屋敷の上屋敷について
『藩史大事典』第5巻 によると、所在地は「芝愛宕下の佐久間小路にあり 寛政六年の火事で芝愛宕下稲荷小路(芝愛宕下二葉町-港区新橋一丁目)」と書かれています。
この最初の所在地(芝愛宕下の佐久間小路)を手掛かりに、『〔江戸切絵図〕. 芝愛宕下絵図』で確認しましたところ、地図上部の「二葉町・芝口西側口」と書かれた町村字名[灰色の背景色]の下に「分部若狭守」の屋敷地の区画がありました。さらに、寛政六年の火事以後はその「二葉町」に移ったと推測されます。
現在地は、『大江戸今昔マップ』の重ね図では「新橋駅」になります。
なお、大溝藩は、『高島町史 』に「元和五年(一六一九)八月、高島郡を中心に、二万石の領主として大溝城に入った分部光信[わけべみつのぶ](以下略)」と書かれており、分部を姓としています。
また、この絵図は国立国会図書館デジタルコレクションで、インターネット公開されています。
2.大溝藩の江戸屋敷の下屋敷について
『藩史大事典』第5巻 によると、所在地は「芝白金村(港区白銀)」と書かれています。
この所在地(芝白金村(港区白銀))を手掛かりに、江戸屋敷を『 〔江戸切絵図〕. 目黒白金辺図』で確認しましたところ、地図蕪の「正源寺」と「西光寺」の間の「三鈷サカ」と書かれた通り沿いに「分部若狭守」の屋敷地の区画がありました。
現在地は、『大江戸今昔マップ』の重ね図では「三光坂」沿いになります。
この絵図も国立国会図書館デジタルコレクションで、インターネット公開されています。
国立国会図書館デジタルコレクションのURLは以下の通りです。
https://dl.ndl.go.jp/ (2021.10.20確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 1 大江戸今昔マップ かみゆ歴史編集部∥編 新人物往来社 2011.9 G-2913-カ p.36,44-45
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2 嘉永・慶応新・江戸切絵図 人文社 2010年 GB-2913-カ p.34-35,88-89 -
3 江戸東京切絵図散歩 [氏家幹人]∥[著] [服部崇]∥[著] 山川出版社 2010年 G-2913-エ p.68-69,80-81 -
4 藩史大事典 第5巻 近畿編 木村礎∥編 藤野保∥編 雄山閣出版 1989年 S-2500- 89 p.82 -
5 高島町史 高島町役場∥編 高島町役場 1983年 S-2116- 83 p.352 -
1 図説高島町の歴史 高島町史編さん委員会∥編集 高島町 2003年 SB-2116- 03 -
2 重ね地図で読み解く大名屋敷の謎 竹内正浩∥文・写真 宝島社 2017.11 G-2913-タ
- キーワード
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- 大溝藩
- 江戸屋敷
- 地図
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 地名
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000307220