レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/6/11
- 登録日時
- 2021/09/11 00:30
- 更新日時
- 2021/09/11 00:30
- 管理番号
- 滋2021-0009
- 質問
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解決
逢坂の関について、次のことがわかる資料が知りたい。
1.江戸時代までの絵図を掲載した資料。
2.いつ頃まで関所として機能していたのか。江戸期はどのような場所だったか。
●調査済み資料
『日本名所風俗図会 』第11および12巻(近畿1、2) 角川書店 1981年、1985年
- 回答
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1.江戸時代までの絵図は、次の資料に掲載されています。
①『近江名所図会』および『伊勢参宮名所図会』「逢坂駒迎」、「逢坂山」
※同じ絵図が両資料に掲載
②『東海道名所図会』1巻「逢坂山・関寺小町」、「逢坂山・関明神・蝉丸祠」
③『石山寺縁起絵』「「菅原孝標女の参詣、逢坂の関を越える」(第2巻第6段)、「東三條院行啓、逢坂を越える」(第3巻第2段)、「逢坂の関屋」(第3巻第3段)
上記①と②は、滋賀県立図書館のデジタルアーカイブ「近江デジタル歴史街道」でご覧いただけます。
2. 逢坂の関の歴史や場所は、以下の資料に書かれています。
①『大津 歴史と文化』
「[逢坂の]関は、平安京を守るための軍事施設で、東海・中山道などの交通の要衝に三関が置かれ、(略)逢坂関もその一つで、弘仁元年(八一〇)、薬子の変のとき、(略)近江国逢坂関の「三関固守[さんげんこしゅ]が行われたのが初見。以後、平安時代末期まで存続した」。
②『新修大津市史』第8巻
「園城寺の支配していた関で(略)建武三年(一三三六)光厳上皇により院宣で安堵された逢坂関(関山関)」のとあり、『園城寺文書』(東京大学史料編纂所所蔵影写本)の「光厳上皇院宣」建武三年九月二十四日付」と、『史料纂集』の「師守記 貞治六年六月十八日・二十四日・二十六日・二十七日条」および「太平記」貞治六年(一三六七)六月十八日条(『日本文学大系巻40』を紹介しています。また、「三井続燈記」(『大日本仏教全書』巻一〇) 寛正元年・二年条庚辰寛正元年」を引用して、寛正元年(一四六〇)に里民等によって破却された大津の新関の事件を受け、室町幕府が園城寺管轄の二関(大谷と逢坂)を停廃したが翌年再開したことを記しています。
③『探訪日本の歴史街道』
「江戸時代の関所は「諸国御関所書付」に五十五関とあるが、実際は五十三関だった。(略)【近江】(括弧は原文ママ) 劔熊、山中、柳瀬(以下略)」と書かれていますので、江戸期に関所としての逢坂の関は存在していなかったと推測されます。
④『滋賀県百科事典』
「その位置は、鎌倉時代につくられた『石山寺縁起絵巻』に、関の施設らしい柵や小屋が描かれ、大津寄りのすぐそばに関寺の総門がみえることから、今日、関寺の跡とつたえられる大津市逢坂2丁目の長安寺からやや南奥にあったと考えられている。ところが国道1号が通過するその関跡のほかに、三井寺前から京都市山科区四ノ宮にでる小関越があり、この解釈が問題になる。」
⑤『大津の道』
「関所の位置については不明な点も多く、その位置を確定することはむずかしいが、現在、京阪電鉄大谷駅の東側に跡碑がたっている。」
⑥『大津 歴史と文化』
「現在、大谷町の国道一号線の逢坂山検問所付近に関跡の碑(写真)がたっているが、関所は関寺(後述)の近くにあったとする資料が多いから、その位置は、跡碑よりもっと大津寄りであったと考えられる。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.85
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2 近江名所図会 1 秦石田輯 - 秋里籬島輯
- 蔀關月画
- 西村中和画 浪花書林 文化11年(1814) p.7,10 デジタルアーカイブ資料
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3 東海道名所図会 1 秋里籬島編 柳原喜兵衞[ほか] 寛政9年(1797) p.23,25 デジタルアーカイブ資料 -
4 新修日本絵巻物全集 22 石山寺縁起絵 角川書店 1979年 2B-7212-22 原色版p.3、グラビアp.10、オフセットカラーp.5 -
5 大津 歴史と文化 大津市史編さん室∥編 大津市 1981年 S-2111- 81 p.34 -
6 新修大津市史 第8巻 中部地域 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1985年 S-2111-8 p.340,357,297-298 -
7 探訪日本の歴史街道 楠戸義昭∥著 三修社 2003年 S-6800- 03 p296 -
8 大津 歴史と文化 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 2004年 S-2111- 04 -
9 大津の道 大津市史編さん室∥編 大津市役所 1985年 S-6811- 85 p.13 -
10 大津市史 上巻 大津市役所∥編 大津市役所 1942年 S-2111-1 p524-525 -
1 滋賀縣寫真帖 滋賀縣∥編 滋賀縣 1915年 S-2900- 15 -
2 大津・志賀の今昔 木村至宏∥監修 郷土出版社 2005年 SB-2710- 05 -
3 ふるさと大津 郷土出版社 2013.10 SB-2711- 13 -
4 目で見る大津の100年 郷土出版社 1992年 SB-2611- 92 -
5 滋賀県百年のあゆみ 滋賀県∥編 滋賀県 1972年 S-2600- 72 -
6 過ぎし江戸の面影 双葉社 2011.1 G-2105-ス -
7 東海道 逢坂山?蹴上 山科の歴史を知る会∥編 山科の歴史を知る会 1986年 S-6811- 86 -
8 図説大津の歴史 上巻 大津市歴史博物館市史編さん室∥編集 大津市 1999年 SB-2111-1 -
9 近世関所の地方的展開 渡辺和敏∥著 愛知大学文学会 1984年 5-6800- 84 -
10 日本中世の流通と商業 宇佐見隆之∥著 吉川弘文館 1999年 S-6810- 99 -
11 新修大津市史 第3巻 近世前期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1980年 S-2111-3 -
12 新修大津市史 第4巻 近世後期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1981年 S-2111-4 -
13 中世後期の寺社と経済 鍛代敏雄∥著 思文閣出版 1999年 S-6880- 99 -
14 中田悟著,勝又英明著「諸国御関所書付」にみられる近世関所の現況調査 (日本建築学会技術報告集 7巻 14号)
日本建築学会 [編] 日本建築学会 2001年 p.239-242
- キーワード
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- 逢坂の関
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304538