レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/9/30
- 登録日時
- 2022/11/18 00:30
- 更新日時
- 2022/11/18 00:30
- 管理番号
- 滋2022-0005
- 質問
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解決
国道421号の旧道 石榑峠について調べています。特に、現在も残っている石榑峠の旧道(江勢道路・石博林道)の歴史について知りたい。
- 回答
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お尋ねの「石槫林道」としての変遷について明確な記述は見つかりませんでしたが、『滋賀県の地名』の「八風峠」の項目(p.686)に、「江勢道路」について「現在三重県とを結ぶ江勢(ごうせい)道路ともいう国道421号(通称八風街道)は北方石槫(いしぐれ)峠を通っている。同峠は現三重県員弁(いなべ)郡大安(だいあん)町とを結び、標高六八九メートル。八風街道の支路として利用された。」と記述されていることから、「石槫峠」と「国道421号」の通称である「八風街道」の歴史について詳しい資料と、記述の概略ををご紹介します。
1.『滋賀県百科事典』の「石榑峠(いしぐれとうげ)」の項目(p.29)に、「鈴鹿産地には、滋賀県側と三重県側をむすぶ10余の峠道が早くからひらかれているが、石榑峠もその一つで、神崎郡永源寺杠葉尾(ゆずりお)と三重県員弁(いなべ)郡大安町の境にある。標高689m。1km北方に竜ケ岳(1099m)をのぞむ。八風街道は鈴鹿山地の横断路として昔近江商人がさかんに利用したことで有名であるが、愛知川沿いにこの街道をさかのぼって杠葉尾にたっし、さらに東へすすんで途中北東にむかえば、この峠に、南東にむかえば八風峠(938m)にでる。この二つの峠は南北3kmのところにあり、現在は山腹をけずって石榑峠越に自動車道をつうじ、この路線が主要地方道近江八幡員弁線となっている。しかし、その利用度はまだあまり多くない。」と記述されています。
2.『角川日本地名大辞典 25滋賀県』の「石榑峠<永源寺町>」の項目(p.92)に、「神崎郡大字杠葉尾(ゆずりお)と三重県員弁(いなべ)郡大安町との境にある峠。主要地方道近江八幡員弁線、通称八風(はっぷう)街道に沿って杠葉尾に入り、さらに東へ新しい自動車道を進むと峠に出る。竜ケ岳(りゅうがだけ)の南約1kmに位置する。標高689m。晴れた日には遠く伊勢湾を望むことができる。3kmほど南に八風峠がある。伊勢参りの近道であり、伊勢から政所(まんどころ)の茶摘みに行く娘たちの通った道でもあった。」と記述されています。
3.『中世古道調査報告4八風街道』(p.8)には、八風街道について、「連歌師宗長が大永六年(一五一六)にここを通った」当時、この峠越えの道がすでに繁昌しており、「峠の一屋に一宿」とあるように、峠には宿泊できるような宿屋もあったことでわかる。この八風街道は、現在でも基本的に国道四二一号に踏襲されていて、鈴鹿山脈を越える街道の一つとして重視されている。ただし、峠の部分は八風峠を避けて、少し北川の石榑峠に替わっている。」と記述されています。
4.『近江の街道』(p.227)には、近江側、伊勢側からみた八風街道の位置づけについて、「黄和田城は小扇状地の扇頂部にある。ここは中世、八風街道を扼する要衝にふさわしい位置を占め、近江側からは愛知川上流への最後の逃避点をなし、伊勢側からは侵入の最初の拠点ともなり得た。長享二年(一四八八)京極政高は同族高清との抗争に敗れて、この城に逃れ、明応五年(一四九六)には京極材宗がこの城で新年を迎えている。黄和田の区域は八風峠や石榑峠を含んでかなり広大である。神崎川以北の八風街道はこの村に属し、村人は片瀬や八風峠と深いかかわりをもって今日に至った。」と記述されています。
5.『鈴鹿の山と谷3』(p.138)には、八風街道の地理的特徴について、「釈迦ケ岳と三池岳の間は伊勢側からみると大きなたるみのなかに磨り減った鋸歯のように緩慢な起状が並んで複雑なスカイラインを見せている。この峯々の起伏を古来「八峯山」と呼んでいた。この間には有名な八風峠をはじめ、中峠、南峠、西山峠などその他多くの江勢に跨る峠路を発達させてきた。石榑峠や千種峠に比較して標高も高いこの峠群の発達は何を意味しているのか興味深い。」と記述されています。
6.『三重県の地名』の「員弁」「石槫」の地名に関わるいくつかの項目に、その地域の地理的、歴史的背景について詳述されています。
7.『近江の道標』(p.194)には、八風街道の道筋の変化について、「八風街道の永源寺周辺は、愛知川ダムによって道も変わり、昭和45年(1970)に八風峠の北側にあたる石槫峠(標高1089メートル)の道が拡幅され、八風峠越の道は部分的に廃道となった。」と記述されています。
8.ほか、八風街道に関する主な資料として、『八風街道筋の歴史』、『絵図と景観の近世』、『関西山越の古道』などがあります。
9.『酷道をゆく』(p.38~p.41)には、現在の石槫峠を通る国道421号線に入るための「入門制限」があることについて、現場写真とともに紹介されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 滋賀県の地名 平凡社地方資料センター∥編集 平凡社 1991年 S-2900- 91 p.686
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2 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 L-0300- 84 p.29 -
3 角川日本地名大辞典 25 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1979年 S-2900- 79 p.92 -
4 中近世古道調査報告 4 八風街道 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 2001年 5B-6800-4 p.8 -
5 近江の街道 小林博∥編 木村至宏∥編 サンブライト出版 1982年 5-6800- 82 p.227、pp.231-232. -
6 鈴鹿の山と谷 3 龍ケ岳・八風峠・愛知川・日本コバほか 西尾寿一∥著 ナカニシヤ出版 1989年 5-2995-3 p.138 -
7 日本歴史地名大系 24 三重県の地名 平凡社 1983年 R-2910-24 p.122、p.123、ほか -
8 近江の道標 木村至宏∥文 寿福滋∥写真 京都新聞社 2000年 5-6800- 00 p.194 -
9 八風街道筋の歴史 深谷弘典∥著 永源寺町郷土史会 1980年 5-2447- 80 -
10 絵図と景観の近世 水本邦彦∥著 校倉書房 2002年 5-2500- 02 p.176 -
11 関西山越の古道 下 中庄谷直∥著 ナカニシヤ出版 1996年 5-6800- 96 pp.90-97 -
12 酷道をゆく 松波成行∥[ほか]執筆 イカロス出版 2008年 3-6852-マ pp.38-41 -
1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 L-0300- 84 p.29 -
2 角川日本地名大辞典 25 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1979年 L-2900- 79 p.92 -
3 近江の街道 小林博∥編 木村至宏∥編 サンブライト出版 1982年 5-6800- 82 p.227,pp.231-232 -
4 中近世古道調査報告 4 八風街道 滋賀県教育委員会∥編集 滋賀県教育委員会 2001年 5B-6800-4 -
5 鈴鹿の山と谷 3 龍ケ岳・八風峠・愛知川・日本コバほか 西尾寿一∥著 ナカニシヤ出版 1989年 5-2995-3 p.138~ -
6 滋賀県の地名 平凡社地方資料センター∥編集 平凡社 1991年 L-2900- 91 p.686 -
7 日本歴史地名大系 24 三重県の地名 平凡社 1983年 R-2910-24 -
8 近江の峠道 木村至宏∥編著 サンライズ出版 2007年 5-2990- 07 掲載なし -
9 湖国の街道 浅香勝輔∥編 ナカニシヤ出版 1989年 5-6800- 89 掲載なし -
10 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 L-2900-734 p.856 杠葉尾村の位置のみ -
11 野道の歴史を歩く 3 谷岡武雄∥著 古今書院 2005年 5-2900- 05 p.157,160八風街道 -
12 近江の道標 木村至宏∥文 寿福滋∥写真 京都新聞社 2000年 5-6800- 00 p.194 伊勢を結ぶ八風街道 -
13 三重県史 別編 [2] 絵図・地図 三重県∥編 三重県 1994年 5B-2103-2 p.306~国境関係 p.323八風越え -
14 角川日本地名大辞典 24 三重県 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1983年 R-2910-24 -
15 三重縣史料 上巻 小野茂吉∥編 文献出版 1979年 5-2103-1 p.197鈴鹿の道 -
16 近畿地方の歴史の道 滋賀 1 滋賀県教育委員会∥編 海路書院 2005年 5-6800-1 ※内容は資料11に同じ
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000324256