レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:09
- 管理番号
- 滋2023-0009
- 質問
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未解決
江戸時代の江州八幡の商人で苧絈を扱っていた、扇屋茂七(伴茂七)という人物について知りたい。また関わりがあるかどうかは不明であるが、伴氏が登場する井原西鶴の作品と八幡商人について知りたい。
- 回答
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『石川県史だより』第55号(平成27年8月)に掲載された、三浦純夫「能登に来た江州の苧絈商人」の表に、1846年に江州八幡の扇屋(伴)茂七が苧絈を買付に来たとの記述があります。
井原西鶴の作品「西鶴織留本朝町人鑑」(1694年刊)のなかの「所は近江蚊帳女才覚」に、「そもそも近江蚊帳の出所は、八幡の町より仕出して、是諸国に広まれり。中にも扇子(おうぎ)屋といふ人、むかしはすこしの酒片見せに米商売しけるが・・・」とありますが、この「扇子屋」の註として、「近江八幡出身で京に住み、江戸・大坂に支店を出した豪商、扇屋(伴氏)庄兵衛・庄右衛門の一族。蚊帳・畳表の問屋で、後には麻布などの呉服も扱った。」と記されています。
この「西鶴織留」については、『滋賀県八幡町史 上』にも次のように記されています。
「話の内容はそのまま受容れられぬにしても全くの創作とも考へられず、当時扇屋の屋号を以って最も栄えた伴家を是に宛つべきである。伴家は当時庄兵衛道壽及び、一族の庄右衛門資次(號只計、是閑居士)その子資尹(號可計)等が京都に商業してゐた。道壽は父庄兵衛宗悦の代より三條烏丸東に店を持ってこれに住み、弟与余四郎友貞また三條高倉に分家した。庄右衛門家では資次の弟六左衛門資房、彌兵衛資方が共にそれぞれ三條高倉に分家し、資次の次男宗賢は六左衛門の養子に入り、宗賢は四条高倉に隠居してゐる。以上は家系に記された断片であるが、以って往時の伴家一族の京都に於ける繁延を知るべく、彼等が商業に活躍したことが世に知られて西鶴の筆に上ったと思はれる。」
この記述によると、伴家の家系に関する記録がが存在するようですが、出典については記されていません。
八幡商人の「蚊帳仲間」については『近江麻布史』に詳しく、『滋賀県八幡町史 下』には「伴記録」をはじめ江戸時代の八幡商人に関する古文書の翻刻が掲載されていますが、いずれにも伴茂七の名は見つかりませんでした。
『日本の豪商』には伴庄右衛門家について、『近江商人』『近江商人と近江八幡の町並み』には『石川県史だより』に記載のある伴(扇屋)伝兵衛について、それぞれ記されていますが、系図はなく伴茂七との関係を辿ることはできませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 近江麻布史 近江麻布史編さん委員会∥編 滋賀県麻織物工業協同組合 2015.9 5-5800- 15
- 2 滋賀県八幡町史 上 通説 八幡町∥編 八幡町役場 1940年 5-2141-1 p.574、p.580
- 3 滋賀県八幡町史 下 史料 八幡町∥編 八幡町役場 1940年 5-2141-3
- 4 対訳西鶴全集 14 西鶴織留 井原西鶴 明治書院 1976年 2-9185-イ p.38、p.43
- 5 日本の豪商 島田文武∥編 滋賀報知新聞社 1991年 5B-6700- 91 p.112
- 6 近江商人 平瀬光慶∥著 近江尚商会 1911年 5-6700- 11 p.45~p.57
- 7 八幡商人と近江八幡の町なみ 近江八幡市立資料館∥編集 近江八幡市立資料館 2011年 5-6741- 11 p.16
- 8 近江八幡の歴史 第5巻 商人と商い 近江八幡市史編集委員会∥編集 近江八幡市 2012.3 SB-2141-5
- 9 近江蒲生郡志 巻5 蒲生郡役所∥編 近江蒲生郡志増補覆刻刊行会 1973年 5-2140-5
- 10 近江神崎郡志稿 上巻 大橋金造∥編 臨川書店 1972年 5-2140-1 p.1p.121
- 11 日本製麻史 全 高谷光雄∥著 法貴定正 1907年 5-5800- 07
- 12 近世近江農村史の研究 河井勇之助∥著 滋賀史学会 1969年 5-2500- 69
- 13 近世朝廷社会と地下官人 西村慎太郎∥著 吉川弘文館 2008年 3-2105-ニ
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335153