レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/8/1
- 登録日時
- 2014/01/23 00:30
- 更新日時
- 2014/01/23 00:30
- 管理番号
- 滋2013-0062
- 質問
-
解決
江戸時代に8回の大嘗祭が行われている。江戸時代の大嘗祭においては、近江の村落に悠紀斎田が設定されている。その村落名と現在地名を知りたい。
- 回答
-
『大嘗祭』第3章「大嘗祭の前儀礼」「鈴鹿家文書の記録」の項によりますと、「貞享四(一六八七)年 近江国滋賀郡山中村(中略) 元文三(一七三八)年 近江国滋賀郡松本村(中略) 寛延元(一七四八)年 近江国滋賀郡松本村(中略) 明和元(一七六四)年 近江国滋賀郡松本村(中略) 明和八(一七七一)年 近江国甲賀郡南土山村(中略) 天明七(一七八七)年 近江国甲賀郡南土山村(中略) 文政元(一八一八)年 近江国滋賀郡松本村(中略) 嘉永元(一八四八)年 近江国甲賀郡南土山村(後略)」とあります。この記述のもとになった鈴鹿家文書は『大嘗祭史料』として復刻されていて、「国郡卜定」の中の「全年度の悠紀・主基郡名」においても同様の記述があります。さらに、『近代天皇制の文化史的研究』にも、『大嘗祭史料』をもとに作成した表が掲載されています。『角川日本地名大辞典 25 滋賀県』などによりますと、滋賀郡山中村は現在大津市山中町に、滋賀郡松本村は大津市松本になっています。甲賀郡南土山村は同郡土山町南土山となったのち、町村合併により現在は甲賀市土山町南土山になっています。なお、『大津市史 上巻』にも天長10(833)年から昭和3(1928)年までの悠紀斎田・主基斎田が設定された地域名が記述されています。ここでは貞享4年の悠紀斎田設定村落は「近江國滋賀郡滋賀村」とありますが、「近江国滋賀郡山中村」の誤植と思われます。さらに、天明七年は「近江國甲賀郡土山町」、嘉永元年は「近江國甲賀郡土山村」とありますが、ともに「近江国甲賀郡南土山村」の誤植と思われます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
-
- 1 大嘗祭 鳥越憲三郎∥著 角川書店 1990年 2-2100-ト p.92-93
-
2 大嘗祭史料 鳥越憲三郎∥[ほか]編著 柏書房 1990年 2-2100-ト p.134-135 -
3 近代天皇制の文化史的研究 高木博志∥著 校倉書房 1997年 2-2106-タ p.143 -
4 角川日本地名大辞典 25 滋賀県 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1991年 R-2910-25 p.645-646,667,709 -
5 大津市史 上巻 大津市役所∥編 大津市役所 1942年 S-2111-1 p.624
- キーワード
-
- 大嘗祭
- 山中村
- 松本村
- 南土山村
- 悠紀斎田
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000143840