レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/01/06
- 登録日時
- 2022/03/31 00:30
- 更新日時
- 2022/03/31 14:35
- 管理番号
- 滋2021-0022
- 質問
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解決
戦国時代に帰農した武士はいたか、知りたい。
- 回答
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邦光史郎著『日本の三大商人』には、「戦国時代、武士をやめて帰農した者、浪人して商業家となった人は、全国各地に多く、(以下略)」と書かれています。
当時の農民や武士の様子について、『日本の歴史 第13巻 一揆と戦国大名』第2章pp.65-102に「惣村」や「郷村」の記載があります。
西国の大名(権力者)と村(百姓)の関係についてp.70に「村落は表面に登場せず、村落の有力者たちも常により広域を支配する有力な領主の被官となり、自らの村を領主として支配しようと志向している存在と位置づけられている。つまり、(中略)戦国大名から末端は村の有力者(土豪)まで、みな領主と考えられており、村落自体のありようは明確にはとらえられていない」とあります。
なお、武士と農民が区別されるようになったのは、豊臣秀吉による太閤検地以降です。『武士(日本史小百科)』p.136に「中世的名主の多くは、惣村にあっては乙名・長・沙汰人・番頭などと称され、村落の自治主体であり、武装して村を自衛し、または大名の軍団の末端に給人として把握され、軍役をも負担する地侍・土豪という半農半士の身分であった。彼らは検地によって武士・百姓のいずれかに区分されたのである」とあり、これ以前は武士・農民の区別がはっきりしていなかったことが分かります。
各時代の武将や武士については『武将(日本史小百科)』と『武士(日本史小百科)』に記載があります。また、『農村(日本史小百科)』と『百姓から見た戦国大名 (ちくま新書618) 』に記載があります。
さらに、『兵農分離はあったのか』によれば、兵農分離の特徴の1つとして「イ 武士と百姓の土地所有形態の分離」を取り上げており、「戦国時代では、田畠を耕作したり、百姓と同様の土地所有を行ったりした武士が多かったが、兵農分離によって、武士は自ら農業生産にかかわることはなくなり、(以下略)」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 1 角川日本地名大辞典 25 「角川日本地名大辞典」編纂委員会∥編 角川書店 1979年 S-2900- 79 220頁
- 2 武士 下村效∥編 東京堂出版 1993年 G-2100-シ
- 3 武将 小和田哲男∥著 近藤出版社 1990年 3-2100-オ
- 4 日本の歴史 第13巻 一揆と戦国大名 講談社 2001年 G-2101-13
- 5 日本史大事典 第6巻 へ?わ 平凡社 1994年 RB-2100-6 660頁
- 6 農村 大石慎三郎∥編 近藤出版社 1980年 2-6119-オ 10-11頁
- 7 百姓から見た戦国大名 黒田基樹∥著 筑摩書房 2006年 3-2104-ク
- 8 国立歴史民俗博物館研究報告 第69号 国立歴史民俗博物館 P 145-165頁
- 9 日本の三大商人 邦光史郎∥著 日本経済新聞社 1982年 5-6700- 82 p.94
- キーワード
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- 戦国時代
- 帰農
- 武士
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 高校生
- 登録番号
- 1000314356