レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/03/11
- 登録日時
- 2016/04/22 00:30
- 更新日時
- 2016/04/22 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0066
- 質問
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未解決
『近江の歌枕紀行』(三品千鶴著 白川書院 1977年)に掲載されている淳仁天皇の「信楽や外山の奥に住居してかひこの洞に我ありと知れ」という歌の意訳と解釈を知りたい。
- 回答
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淳仁天皇御製の歌について、『新編 国歌大観』、『校註国歌大系』、『私家集大成』で確認しましたが記載がありませんでした。
『近江輿地志略』によると,「[保良旧都]土俗相傳玉桂寺の上の山の御墓は、廃帝の御墓也。かひこの保良といふ。相傳廃帝此地に?止し給ふ。古昔は岩窟の洞あり。廃帝の御製に「信楽や外山の奥に住居してかひこの洞に我ありと知れ 」此歌を椿の葉に記して信楽川に流し給ふといふ。窟今崩れて跡かたもなし云々と。臣按ずるに勅旨一村其餘の村までも古の都の時は皆保良といひしなるべし。かひこのほらとは例の土俗の誤にして洞といふより岩窟ありしなるべし等と思ひ、岩窟も今はなしと云ふなるべし。或は云ふ「信楽や外山の奥に住居して我此洞にありとしるべし。」廃帝の詠也といへり。此歌得たりとす。保良都の事前に詳にせり。」との記述があります。
『甲賀郡志』『信楽町史』も確認しましたが、意訳や解釈などは掲載されていませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
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- 1 近江の歌枕紀行 三品千鶴∥著 近江文化会∥編 白川書院 1977年 S-9100- 77 p.83
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2 近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734 p.587-588 -
3 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育会∥編 名著出版 1971年 S-2130-2 p.1164-1165 -
4 信楽町史 信楽町史編纂委員会∥編 滋賀県立甲賀高等学校社会部∥編 臨川書店 1986年 S-2137- 86 p.253 -
5 新編 国歌大観 第1巻 [2] 勅撰集編 -索引- 「新編国歌大観」編集委員会∥編 角川書店 1983年 R-P080-1 -
6 校註国歌大系 第1巻 古歌謡集 国民図書∥編 講談社 1976年 R-P080-1 -
7 私家集大成 1 中古 1 和歌史研究会∥編 明治書院 1985年 R-P080-1
- キーワード
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- 淳仁天皇
- 和歌
- 御製
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌的事項調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000191522