レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/12/01
- 登録日時
- 2015/01/16 00:30
- 更新日時
- 2015/01/16 00:30
- 管理番号
- 滋2014-0091
- 質問
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解決
昭和29年(1954)11月に作家の内田百閒(うちだひゃっけん)が大津に宿泊している。その際に泊まった「獅子吼旅館」のことを知りたい。場所は旧「北保町」、現在は観音寺二丁目の湖に面した京都市水道局の敷地内だったと思われる。同時期に近くには「竹清楼」という旅館もあり、この2つの旅館の位置関係や廃業の時期も知りたい。
- 回答
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1 獅子吼旅館について
『大津市住宅案内図』(1966年発行)に「KKししく旅館」として記載があります。場所は、観音寺町2-1(三方琵琶湖を見渡せる位置)に立地しています。この地図に竹清楼の記載はなく、「KKししく旅館」から数軒南へ離れた観音寺町2-4(西側が琵琶湖に面している位置)に、晩鐘閣という旅館が記載されていました。
獅子吼旅館は『全国著名旅館大鑑』(1964年発行)にも紹介されており、経営者、交通、客室、料金、自慢料理などの記載があり、獅子の間の写真が掲載されています。
なお、『滋賀年鑑 1971』(1970年発行)までの県内の宿泊施設に、獅子吼旅館の記載がありますが、翌年から記載がなくなっていますので、1971年(昭和46)頃に廃業したと思われます。
2 竹清楼について
『滋賀県年鑑 1955』(1954年発行)の都市大観大津市の項目に旅館一覧があり、「竹清楼(北保町三保ヶ崎 電大津二一一八)」と記載されています。しかし、『滋賀年鑑 1957』(1956年)の同項目には記載がありませんでした。同書には、上記1に出てきました晩鐘閣が広告をだしており、住所欄に「琵琶湖畔三保ヶ崎(元竹清楼跡)」とありました。このことから、1956年(昭和31)時点では竹清楼は廃業していたと思われます。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 観光事業 (689 8版)
- 参考資料
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- 1 大津市住宅案内図 弘報社 1966年 5B-2911-66 p.21
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2 全国著名旅館大鑑 日本交通公社協定旅館連盟 1964年 2B-6898-セ p.679 -
3 滋賀年鑑 1971 滋賀日日新聞社 1970年 5-0500-71 p.259 -
4 滋賀年鑑 1972 滋賀日日新聞社 1971年 5-0500-72 -
5 滋賀県年鑑 1955 滋賀新聞社 1954年 5-0500-55 都市大観p.13 -
6 滋賀年鑑 1957 滋賀日日新聞社 1956年 5-0500-57 p.115 -
1 家族の一世紀 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 1998年 SB-2911- 98
- キーワード
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- 内田百閒
- 獅子吼旅館
- 竹清楼
- 晩鐘閣
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000166220