レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/06/02
- 登録日時
- 2012/07/20 02:01
- 更新日時
- 2012/07/20 02:01
- 管理番号
- 滋2011-1782
- 質問
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解決
「雲のゆく堅田の奥や」で始まる近江を詠んだ和歌の全文、歌の意味、作者とその略歴、収録されている歌集名を知りたい。
- 回答
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『近江百人一首』に、和歌の全文は「雲のゆく堅田の奥やしぐるらむやや影(かげ)しめる海女(あま)の漁火(いさりび)」で、歌の意味は「雲のゆく、堅田の沖はしぐれているのであろうか。やや影のうるんで見える、海人のいさり火は」であると記されています。また同資料には、作者は「藤原定家」で、略歴は「平安・鎌倉期歌人。(中略)「新古今和歌集」の撰者として、その新風の開拓者として、それ以後の中世和歌史の上に最も大きな影響を残したひとりである。五歳の時、幼名を定家と改める。京極中納言と呼ばれた。応保二(一一六二)-仁治二(一二四一)。八〇歳。父は藤原俊成。母は藤原親忠女(むすめ)の美福門院加賀。兄成家のほか同腹異腹の兄弟姉妹多し。仁安元(一一六六)叙爵以来異進、貞永(じょうえい)元(一二三二)権中納言を辞す。二九歳まで父の五条の家。一四歳で赤斑(ふ)、一六歳で疱瘡(ほうそう)にかかり両度危篤。爾後病弱。一八歳で昇殿を許される。三二歳母没。悲嘆常規をこゆ。四〇歳、千五百番歌合の判者・作者・和歌所(どころ)寄人・新古今撰者拝命。四八歳、実朝に「近代秀歌」を贈る。五五歳、「拾遺愚草」を編む。老後は和歌より連歌を好み、書写・写経が多くなった。」とあります。収録されている歌集は「拾遺愚草」と記されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 詩歌 (911 8版)
- 参考資料
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- 1 近江百人一首 滋賀県文化振興事業団∥編集 滋賀県教育委員会 1993年 S-9100- 93 p.164
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2 校注歌枕大観 近江編 森本茂∥編著 大学堂書店 1984年 S-9100- 84 p.127 -
3 近江百人一首を歩く 畑裕子∥著 サンライズ印刷出版部 1994年 S-9100- 94 p.162
- キーワード
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- 和歌
- 藤原定家
- 拾遺愚草
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109000