レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/10/01
- 登録日時
- 2021/11/06 00:30
- 更新日時
- 2021/11/06 00:30
- 管理番号
- 滋2021-0016
- 質問
-
解決
長浜駅初代駅舎(現在の長浜鉄道スクエア)は駅舎として、いつまで使われたか。
公式サイトでは、明治36年に新駅舎が完成するまでと、なっている。
https://kitabiwako.jp/tetsudou/guidance.html (2021年10月20日現在)
しかし、杉崎行恭 著『駅舎再発見』(2000年)では明治35年1月である。
- 回答
-
長浜駅初代駅舎の利用について、『長浜市史 第8巻』に収録されている年表の明治35年(1902年)の項目に、「この年、旧長浜駅を廃し、新長浜駅に移り、東海道線が複線になる。」と書かれています。同書の年表の明治33年(1900年)の項目には、出典を「旧長浜駅本屋復原資料」として、月日を確定せずに「長浜駅の北寄りに新たな駅舎が建設される」とあります。
『長浜市史 第4巻』の「第1章第3節「交通の変貌」には、長浜駅初代駅舎は「明治33年(1900)に北寄りに新たな駅舎が建設されたのちは、転用を繰り返し、一時期は荒廃した。」と記述があり、新しい駅舎の完成は明治33年(1900年)と読み取れます。
また、「みーな」120号(2014年1月)の記事「平成の長浜駅は6代目だった!」では、初代駅舎を「明治15年3月10日~」とし、2代目駅舎を「明治35年1月21日~」と紹介していますが、出典の記載はありません。
上記のことについて、長浜市長浜城博物館に問い合わせたところ、「2代目駅舎の利用開始は、『国鉄百年史』(切り抜き記事のため正確な書名は不明)では明治35年。また、当時の長浜駅で作成された書類の写しに明治35年1月21日とあるので、おそらく明治35年ではないか。」と回答がありました。しかし、正確なところは分からず「明治35年、もしくは明治36年あたり。」とのことでした。
このほかに、大正2年に企画され、郷土史家中川泉三が昭和初年まで十数年かけて執筆した『近江長濱町志』には、長浜駅の説明について「初め明治15年3月10日長浜より越前金ヶ崎に通ずる線路の工成り、始めて開通せられたる郡中最初の駅なり。」と長浜駅の開通には触れられていますが、移転については記述がありませんでした。
昭和18年に発行された『改訂近江國坂田郡志 第3巻 下』の第9編「官衙公署志」にある長浜駅の説明にも、移転には触れられていません。
国立国会図書館デジタルコレクションで「長浜駅」をキーワードとして検索した資料について、移転に関する記述があるものは次のとおりです。
・「教育しが」230号(2005年5月)「明治35年(1902)に、北寄りの現在地に長浜駅が移動するまで駅舎として使われ、(後略)」
・「産業遺産研究」1号(1994年5月)「東海道線の新橋・神戸間が明治22(1889)年7月に全線開通、長浜・大津間の鉄道連絡船も廃止され、現長浜駅の所に新駅舎が完成、旧駅舎はその役割を終えることになった。」
・汎交通1966年7月号「現在の長浜駅は、明治35年1月21日に竣工し、旧長浜駅と線路を隔てた東側の北方約150メートルほど離れた所に建っている。」
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 鉄道運輸 (686 8版)
- 参考資料
-
- 1 みーな -びわ湖から- 通巻120号 長浜みーな協会 P p.9~10
-
2 長浜市史 第8巻 年表・便覧 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 2004年 S-2161-8 p.179 -
3 長浜市史 第4巻 市民の台頭 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 2000年 S-2161-4 p.62 -
4 関西鉄道考古学探見 辻良樹∥著 JTBパブリッシング 2007年 S-6800- 07 p.18~22 -
5 近江長濱町志 第2巻 本編 中 中川泉三∥編 中澤成晃∥[ほか]校訂 臨川書店 1988年 S-2161-2 p.224 -
6 改訂近江國坂田郡志 第3巻 下 坂田郡教育会∥編 坂田郡教育会 1941年 5-2160-3 p.34 -
7 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/ -
1 駅舎再発見 杉崎行恭∥著 日本交通公社出版事業局 2000年 3-6865-ス p.56~57
- キーワード
-
- 長浜駅
- 初代駅舎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000307219