レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012/06/02
- 登録日時
- 2012/07/20 02:03
- 更新日時
- 2012/07/20 02:03
- 管理番号
- 滋2011-2062
- 質問
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解決
滋賀県にある塩津越の読み方とその概要を知りたい。
- 回答
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『滋賀県百科事典』によりますと、読み方は「しおつごえ」で、概要は「琵琶湖最北端の塩津と越前(現、福井県)敦賀をむすぶ古道。塩津街道ともよぶ。古代には、越前以北の北陸道諸国から都へおくられる貢納物は、敦賀に陸揚げされ、陸路で塩津まではこばれ、塩津から大津まで琵琶湖水路を利用し、大津からふたたび陸路で都へはこばれる規定になっていたので交通の頻繁な幹道であった。もちろん物資だけでなく人の往来にも利用されたことは、『万葉集』の「塩津山うち越え行けばわが乗れる馬ぞ爪づく家恋ふらしも」という笠朝臣金村の歌でもうかがわれる。塩津ー敦賀間は、直線距離18kmで、湖北と若狭湾をむすぶ最短ルートであり、海津と敦賀をむすぶ西近江路の七里半越にたいして、五里半越とよばれたが、途中標高370mの深坂峠をこえるのが、急坂で難所であった。そのため、のちに、信長・秀吉によってこの難所を避けて、深坂峠の東側を迂回する新道野越の道がひらかれる。以後この新道野越が主道になるが、江戸中期河村瑞軒による西廻航路の開発以降は、交通量の激減はさけられなかった。なお、この塩津越に運河をひらき、若狭湾と琵琶湖、さらには都や伊勢湾とむすぼうとする計画はきわめて古くからあり、たとえは平重盛がその事業に着手して、しかし大石のため断念したとつたえられる深坂峠手前の地点に、掘止地蔵とよばれる地蔵が建っていたりして、古人の願望をつたえている。(足利健亮)」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 S-0300- 84 p.330-331
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2 近江の峠道 木村至宏∥編著 サンライズ出版 2007年 S-2990- 07 p.123-127
- キーワード
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- 塩津越
- 峠
- 地名
- 道路
- 塩津街道
- 笠金村
- 五里半越
- 深坂峠
- 新道野越
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000109147