レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 03/08/04
- 登録日時
- 2004/03/06 19:52
- 更新日時
- 2004/03/06 19:52
- 管理番号
- 土木図書館-0019
- 質問
-
明治初期に来日したオランダ人お雇い外国人2名の鹿児島県内での仕事内容を知りたく存じます。
- 回答
-
以下が関連あると思われる資料です。但し、仕事内容にまで触れているものは、2の「治水工務」程度でした。
3、4では、鹿児島に行ったことはわかりますが、仕事内容は記述されておらず、また当該参考文献が明確ではありません。
5はアルンストの足取りが鹿児島の後、野蒜港->坂井港となっていることがわかります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
-
-
1.『鹿児島県土木史年表 明治以降』
出版者:鹿児島県建設技術センター
出版年:1985年
p2に、以下の記述あり
明治9年2月 オランダ人土木技師チッセンを雇用する
2.『資料 御雇外国人』
著者:ユネスコ、東アジア文化研究センター
出版者:小学館
出版年:1975年
同書内「お雇い外国人名鑑」の章中、
「デ・アルンスト」の項に13行ほどの記述有り(p324~325)
「ティッセン」の項に14行ほどの記述有り(p326)
文中【備考】欄に、以下の引用あり
「・・・チッセン儀ハ当時(八年一〇月頃)鹿児島県へ出張中ニ付、帰京次第帰国可為致積ニ有之候処、同県下治水工務上ニ付同人ヲ借用致度旨逐々懇願ノ趣モ有之、情実無余儀相聞候条放免ノ儀ハ差止、同県へ在勤申付候・・・」
(内務省伺、九年八月二三日)太政類典第二編
3.『日本の川を甦らせた技師デ・レイケ』
著者:上林 好之/著
出版者:草思社
出版年:1999年
第2章~4章にかけて、数箇所チッセン及びアルンストの記述有り。
p50「ほかに、デ・レイケの紹介でファン・ドールンが雇うことになったレンガ職人のアルンスト夫妻がいた。チッセンは新婚まもないので、一ヶ月のちに出発することになっていた」
(第2章 日本への旅)
p94「チッセンもリンドと同じような理由で政府から解雇された。彼はあらためて鹿児島県に勤めた。当時の鹿児島は西郷隆盛が下野して(明治六年十月)政府の意向に反抗し、木戸孝允が「独立国の如し」と評したところである。のちにチッセンは、フィンランド人のブローカーであるフレッチャーの手先となって薩摩軍の武器を調達することにかかわった疑いで明治政府に逮捕されてしまう。そして心を病んで帰国し、不幸な一生を送ることになる」
(第4章 デ・レイケ、頭角をあらわす)
4.『乱流-オランダ水理工師デレーケ』
著者:三宅 雅子
出版者:東都書房
出版年:1992年
第1部に数箇所チッセン及びアルンストの記述有り。
p90「デレーケやその他のオランダ工師たちは、薩摩に雇われて工事に行っている、チッセンとアルンストの身の上を心配していたが、両名は、政府の砲弾が鹿児島に飛んでくる前に、イギリスの軍艦に乗せてもらい、他の外国人達と一緒に無事脱出し、長崎で下船していた」
5.『日本築港史』
著者:廣井 勇
出版者:丸善
出版年:1927年
p31「工手アルンスト云々」(野蒜港)
p43「十三年ニハ工事大ニ進捗シ工手アルンスト石巻ヨリ来リ云々」(坂井港)
6.その他、インターネットの検索で出てきたもの
http://www.asahi-net.or.jp/~wy6m-skmt/kaisetu(5).htm
「明治の始め大隅半島を掘削して、志布志湾から鹿児島湾に運河を通そうと、夢のような壮大な計画を立てた英国人技師チッセンが住んでいた家がこの近くにあり、異人館と呼んでいた。」
上記計画があったというのは、こちらの文献ではどこにも出てきませんので、信憑性は不確かです(英国人とあるのも難点です)
本人プロフィールもありますので、問合せてみることは可能です。
http://www.asahi-net.or.jp/~wy6m-skmt/profile.htm
-
1.『鹿児島県土木史年表 明治以降』
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000001696