レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2007/08/21
- 登録日時
- 2021/04/03 00:30
- 更新日時
- 2021/04/03 00:30
- 管理番号
- 町田-208
- 質問
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解決
江戸時代最後の仇討ち(敵討)についてなんという名称か知りたい。高野山の仇討ちだと思うのだが。
- 回答
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最後の敵討といわれるものは、いろいろあるようです。
●R210.03『國史大辞典 3巻』p.349~352 「敵討」の項に、敵討の一覧が出ている。
最後のものは、明治4年高野山での村上兄弟によるもの。江戸時代に限るなら、元治元年のもの。
●156-ヒ『敵討』p.99~106 江戸時代敵討事蹟表があり、最後は元治元年のもの。
●R210.6『明治世相編年事典』索引より、「仇討」の項目は3つある。
p.47(明治4年 高野山)、p.78(明治5年)、p.189(明治13年 最後の仇討ち)
●682.1-ヨ『熊野への道』p.53 「境橋」という橋の傍らに「日本最後の仇討ちの場」(文久3年)という案内板がある。
●雑誌『世界 1993年4月号』p.350~351 臼井六郎(明治13年)以後もいくつか敵討があるが(成田鉄三郎等)、いわゆる江戸時代的な仇討ちは、これが最後といっている。
その他に参考になりそうな資料は、以下のものがある。
210.6『明治民衆史』
●382.1-ミ『近代庶民生活誌16』p.55~77 「臼井六郎事件資料」
●雑誌『歴史研究 2002年12月号』p.22~44 「特集 仇討の日本史」
●913.6-ヨ『敵討』(吉村昭/新潮社) 明治13年の臼井六郎の仇討ちが描かれている。
また、当館には所蔵がないが、参考になりそうな資料として『日本仇討100選』(稲垣史生/秋田書店 1976年)や、『仇討を考証する』(稲垣史生/旺文社 1987年)、『日本史の現場検証2 明治大正編』(合田一道/扶桑社 1999年)などもある。
なお、明治6年に仇討禁止令がでている。
【参考】
◎レファレンス協同データベース
『最後の敵討をしたとして知られる臼井六郎(うすいろくろう)という人物について知りたい。』《福岡市総合図書館》
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000143939(2020.2.26確認)
『日本で最後の仇討ちをした人物は誰ですか?この事件をテーマにした小説はありますか?』《北九州市中央図書館》
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000058309(2020.2.26確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本史 (210 8版)
- 参考資料
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- 熊野への道吉田 昌生/著向陽書房
- 国史大辞典3国史大辞典編集委員会/編吉川弘文館
- 世界岩波書店 19930401
- 明治世相編年辞典朝倉 治彦/編東京堂出版
- 近代庶民生活誌16南 博/責任編集三一書房
- 敵討平出 鏗二郎/著中央公論社
- 歴史研究歴史研究事務局 20021210
- キーワード
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- 仇討ち(アダウチ)
- 最後の仇討ち(サイゴ ノ カタキウチ)
- 敵討(カタキウチ)
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000296594