レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020/01/08
- 登録日時
- 2020/02/05 00:30
- 更新日時
- 2020/02/05 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0039
- 質問
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解決
滋賀県大津市の小関越え近くにある「西南役之祈念碑」について、以下のことを知りたい。
明治11年8月の建立当時は、三井寺観音堂の背後の高台にあったそうです。その様子を写した写真パネルが大津市立歴博2階の常設展示にありました。その写真を載せた書物・資料はありますか。
また、建立の経緯や現在の地に移設された時期についても教えてほしい。
- 回答
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○移設前の写真等について
移設前の祈念碑の写真が掲載されている資料は、以下の5点です。
(祈念碑の名称・表記は各資料の原文ママ)
1.『大津事件』
「三井寺観音堂遠望」の写真が掲載されており、これに祈念碑が写りこんでいます。
大津市歴史博物館に問合せましたところ、パネルの写真と同じものであるとのことです。
(写真等の掲載ページは、下記の資料リストをご参照ください。)
2.『大津事件の真相』
「問題の三井寺御幸山記念碑(当時のもの)」として、碑のみの写真が掲載されています。
3.『大津名勝案内』
口絵の写真集の中に「御幸山紀念碑」の写真が掲載されています。大正4年10月30日発行の資料ですので、移転前のものと考えられます。
その他、当館デジタルアーカイブ「近江歴史街道」(インターネットでご覧いただけます。URL:http://www.shiga-pref-library.jp/wo/da/search)で公開している資料の中にも、2件確認できました。
「近江国長等山三井寺之図/1902年[明治35年] 」には遠望の写真が、「近江名所三井寺」には、観音堂から見上げる写真がそれぞれ収録されています。
また、写真ではありませんが、『風俗画報 第118号-第128号』には「御幸山招魂祭景況略図」として、明治24年4月に祈念碑前で行われた招魂祭の絵図が掲載されています。
○建立の経緯や移設時期について
建立の経緯は参考資料6~11の該当ページをご参照ください。
なお、移設の時期については、『大津事件の真相』に「現在の記念碑はずっと高い所に移転されているがこれは大正十四年ごろに移されたものである。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 近畿地方 (216 8版)
- 参考資料
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- 1 大津事件 大津市歴史博物館∥編集 大津市歴史博物館 2003年 SB-2611- 03 口絵,p.23~25
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2 大津事件の真相 早崎慶三∥著 サンブライト出版 1987年 S-2611- 87 p.23,39,234 -
3 大津名勝案内 中村紅雨∥著 古川伊助 1915年 S-2911- 15 p.13 -
4 近江国長等山三井寺之図/1902年[明治35年] コンテンツID 0500572 p.2 -
5 近江名所三井寺 コンテンツID 0501190 p.4 -
6 新修大津市史 第5巻 近代 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1982年 S-2111-5 p.139、p.145~146 -
7 大津の碑 大津市史編さん室∥編 大津市役所 1986年 S-9011- 86 p.89 -
8 大津市史 中巻 大津市役所∥編 大津市役所 1942年 S-2111-2 p.323 -
9 図説大津の歴史 下巻 大津市歴史博物館市史編さん室∥編集 大津市 1999年 SB-2111-2 p.24 -
10 明治天皇聖蹟誌 滋賀縣∥編 滋賀縣 1941年 S-2000- 41 p.44~49
- キーワード
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- 三井寺
- 園城寺
- 西南戦争
- 西南之役
- 記念碑
- 大津事件
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000273618