レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月23日
- 登録日時
- 2020/10/23 17:50
- 更新日時
- 2021/01/25 10:43
- 管理番号
- NIER2020005
- 質問
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明治時代に「学校建築図説明及設計大要」で「教室の窓は左側にし、光を生徒の左側からあたるようにする」と決められたのは、ノートをとる時、手の影で文字が見えにくくならないようにするためとされていますが、その根拠となる文献は?
- 回答
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文部省学校衛生事項取調嘱託となった三島通良の以下の著作に光を左からという記述がある。
三島通良『学校衛生学』博文館,1893
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809880
p.85
「必ず光線を左方より採り・・・右方は俗に之を手暗がりと稱して右来よりこれを擯斥したるところなり」
- 回答プロセス
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(1)NDLデジタルコレクションで調査
「学校建築図説明及設計大要」
→あり
(内容の確認)→第一章(五)
「教室」「配置」「学校」「設備」「衛星」等で検索
→該当する資料なし
(2)CiNiiArticles、教育研究論文索引で検索
→該当する資料なし
(3)Google検索
「教室」「光」「左」「学校建築図説明及設計大要」
→以下の論文がヒット
河合 務「A. ニューズホームの学校衛生論」
URL:https://ci.nii.ac.jp/naid/120005691773
p.62
1891(明治24)年に文部省学校衛生事項取調嘱託となった三島通良
(1866‐1925)の著書『学校衛生学』(1893 年)では,右側から採光することは「手暗がり」とな
るので光線は必ず左側から採光すべきであると論じられている
- 事前調査事項
- NDC
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- 学校経営.管理.学校保健 (374)
- 参考資料
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- 三島通良『学校衛生学』博文館,1893 (https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/809880)
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河合 務「A. ニューズホームの学校衛生論」
地域学論集 : 鳥取大学地域学部紀要 12(2), 61-74, 2015-11 (https://ci.nii.ac.jp/naid/120005691773)
- キーワード
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- 黒板に向かって左
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000288588