レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/1/8
- 登録日時
- 2016/01/09 00:30
- 更新日時
- 2016/01/09 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0032
- 質問
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解決
井伊家の歴代藩主やゆかり女性のお墓がどこにあるか知りたい。
井伊直政公の養母・井伊直虎や、正室・唐梅院の墓はどこにあるのか。
- 回答
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井伊家の墓については、『国指定史跡清凉寺「彦根藩主井伊家墓所」調査報告書』によると「初代井伊直政が近江に入国以来、井伊家は幕末に至るまで一度の所替えもなく、江戸時代を通じて彦根藩を領した。この間、国許彦根の墓所として清凉寺が、また江戸における墓所として彦根藩領であった世田谷の豪徳寺が護持され、歴代の当主以下、正室・側室、子息・子女ら井伊家一族の多くが墓石を連ねた。」「なお、四代当主直興は、仏教への信仰心が篤く、(中略) 側室とともに永源寺を墓所としている。」とあります。同書には、清凉寺と永源寺の墓石台帳が掲載されています。
また、『武家の生活と教養』に収録されている「彦根藩と寺社」にも彦根藩井伊家の葬地について詳しく記述されています。「井伊家歴代一族の葬地」の一覧表があり、この表によると直政の正室は「東梅院(松平康親女・徳川家康養女) 没年 寛永16(1639)7月2日 死去地 安中 葬地 上野安中 無辺山大泉寺」とあります。
直虎の墓地については、上記2点の資料には記載されていませんでした。『系図纂要 第4冊 下』によると、直虎の死は天正10年(1582)とあり、直政が佐和山城に入城する慶長5年(1600)より前になります。あらためて『井伊家傳記』を確認しましたところ、永正4年(1507)に井伊直平が遠江(現在の静岡県)にある龍潭寺へあてた寄進状に「当寺は元祖共保公出生の霊地、井伊家の氏寺並びに菩提所也。」とあります。彦根に移るまでは、龍潭寺が井伊家の菩提寺であったことがわかります。当館の資料では確認できませんでしたが、インターネット上にある龍潭寺のHPに、直虎の墓が境内にあるとの記述があります。
(http://www.ryotanji.com/ 2015.10.9確認)
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 参考資料
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- 1 国指定史跡清凉寺「彦根藩主井伊家墓所」調査報告書 彦根市教育委員会∥編集 彦根市教育委員会 2009年 SB-2551- 09
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2 武家の生活と教養 村井康彦∥編 彦根城博物館 2005年 S-2551- 05 p.132 -
3 系図纂要 第4冊 下 藤原氏 6 名著出版 1992年 R-2882-4 p.696 -
4 井伊家傳記 たちばな会 2000年 S-2851- 00 p.2
- キーワード
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- 彦根藩
- 井伊氏:井伊直虎
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000186885