レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/08/11
- 登録日時
- 2011/10/28 02:13
- 更新日時
- 2011/10/28 02:13
- 管理番号
- 滋2011-0842
- 質問
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解決
備中松山藩(板倉侯)の川田甕江の万延元年(1860)の日記を読んでいる中で、近江の大溝藩分部侯世子についての記述があります。この時の藩主は分部光貞の代だったようですが、1862年(文久2)生まれの次男光謙が次の代を次いだようですが、長男の名前や略歴が知りたいです。
- 回答
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お問い合わせの人物の名前は分部光利です。
調査資料の1の『集成分部家系譜』には、以下のことが掲載されています。
通称は寅之助。諱は光利。弘化5年(1848)9月16日に江戸で生まれる。
母寸美(澄)、佐藤氏 分部光貞側室。
安政5年(1858)年11月16日元服。文久2年(1862)年8月3日(もしくは5日)死去。
法号は永源院法梅普潤居士。松渓院に葬られる。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 集成分部家系譜 笠井劼∥編輯 分部会 2004年 S-2816- 04
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2 高島町史 高島町役場∥編 高島町役場 1983年 5-2116- 83 -
3 藩史大事典 第5巻 近畿編 木村礎∥編 藤野保∥編 雄山閣出版 1989年 S-2500- 89
- キーワード
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- 分部光利
- 大溝藩
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000095552