レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年8月14日
- 登録日時
- 2020/12/08 10:25
- 更新日時
- 2023/08/06 14:38
- 管理番号
- M0352
- 質問
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未解決
寛政11年(1799)年に最初に測量に基づいた北海道地図を制作した堀田仁助が、9/9頃にクスリ会所を訪ねている。周辺を観察する中で「地蔵建立」という記載があるが、会所近くに地蔵堂もしくは地蔵菩薩を安置する寺院が建立されたと思われる。その手がかりを探している。地誌や市史などに該当寺院や像があるかどうか調べてほしい。
- 回答
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○調査依頼を受けた直後
調査の参考にするため、5/30にいただいた最初のメールの中の「地蔵建立」と記載されていた資料の詳細を教えていただくよう依頼。その後、該当文献は『幻空雑記』(堀田仁助・鈴木周助(介)/著)だとわかったが、函館市中央図書館のみの所蔵で内容を調べることが難しい。そこで文中の前後にあたる厚岸や白糠の記述内容を参考にしたいと先方に伺ったところ、町史や地元研究者からの情報提供だという回答であった。
○外部の専門家に相談
手がかりをつかめない中、釧路短期大学教授に相談したところ、厳島神社の円空仏をご紹介いただいた。堀田が蝦夷に渡った1799(寛政11)年以前の資料はほとんど残っておらず、関連がありそうな資料としては円空仏に関してなら残っているとのことだった。
○メールにてご紹介した内容
道南にあった円空仏を釧路に移したの松田伝十郎であったため、1799年の松田伝十郎と堀田仁助の足取りや円空仏について調べた。
『北夷談』には現豊浦町の洞窟にあった円空仏を1799年にその仏の背に彫られた地名の山々へ送って安置したと松田が書いている。
『釧路昔むかし』では、現豊浦町の洞窟の円空仏五体について、また1799年に釧路に移された仏像について詳しく書かれている。
調査の中の疑問として、円空仏は地蔵と言えるのか、また、政徳丸で6/29に厚岸に着いた松田が、堀田が釧路で地蔵建立と確認する9月までに円空仏を移せるのかという点が出たことを依頼者にもお伝えした。
円空仏以外の点について、『新釧路市史』に堀田について掲載された部分や。国泰寺ができる前に存在した弁天宮や観音堂についてご紹介した。また、『新北海道史』にあった『久壽里大概書』にも釧路に観音堂があったときろくされていることを紹介した。
○回答後の返信内容
その後メールでは、依頼者も十勝神社などを調べるうちに小幌の円空仏と堀田のかかわりが見えてきたところとのことだった。しかし、松田が円空仏をどのように運んだかについては不明だし、堀田の「地蔵建立」の表記と厳島神社が結びつかない、現地でじっくり探りたいとのことだった。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 『蝦夷往来(第9号,復刻版)』北海道出版企画センター, 1972.10, K 205 /E /(資料コード:216511380) (p,109-111『蝦夷地開発記』鈴木周助/著 について 堀田仁助の紹介と『北海道史』や『休明光記』の間違いを指摘)
- 『北海道殖民状況報文(釧路國)』北海道庁殖民部拓殖課/編, 北海道庁殖民部拓殖課, 1900.3, CK 317 /H /(資料コード:211974927) (p.66 釧路の寺の創立について)
- 『新釧路市史(第1巻)』釧路市, 1974.9, K 291 /K /1(資料コード:216667907) (p.356,366 堀田仁助の紹介)
- 『新釧路市史(第3巻)』釧路市, 1972, K 291 /K /3(資料コード:213473501) (p.299,301 国泰寺以前に存在した祠などについて)
- 『北海道古地図集成』高倉 新一郎/編著, 北海道出版企画センター, 1987.9, K 290.3 /T /(資料コード:211944856) (p.57- 堀田仁助作成の地図、堀田仁助の紹介)
- 『新撰北海道史(第2巻)』北海道庁/編纂, 北海道庁, 1937, K 209 /H /2(資料コード:211302661) (P.432 堀田仁助の紹介)
- 『新撰北海道史(第5巻)』北海道庁/編纂, 北海道庁, 1936, K 209 /H /5(資料コード:211302704) (P.336 堀田仁助の紹介)
- 『新撰北海道史(第7巻)』北海道庁/編纂, 北海道庁, 1937, K 209 /H /7(資料コード:211302698) (P.573-574 『久壽里場所大概書』より 久壽里に観音堂があったという記録)
- 『日本庶民生活史料集成(第4巻)』高倉新一郎/編, 三一書房, 1971, K 290 /T /(資料コード:211945086) (p.77-78,p.97 『北夷談』解題、原文 松田伝十郎が記した記録)
- 『釧路昔むかし:江戸時代の釧路(釧路新書,17)』釧路市史編さん事務局/編, 釧路市, 1989.3, K 080 /K /17(資料コード:215522049) (p.77-78 松田と礼文華峠から移された円空仏について)
- 『北海道と円空(ぷやら新書,第50巻)』高倉 新一郎/著, ぷやら新書刊行会, 1973.2, K 080 /T /50(資料コード:213066675) (p.14-37 円空仏について)
- 『円空仏と北海道』堺 比呂志/著, 北海道出版企画センター, 2003.7, K 080 /H /6(資料コード:213908104) (p.229-232 円空仏について 松田が『久壽里場所大概書』にある観音堂や厳島神社を知っていて円空仏を船で送ったと説明。)
- 『豊浦町史』渡辺 茂/編, 豊浦町, 1972.9, K 299.1 /T /(資料コード:212750643) (p.183-184 松田伝十郎と円空仏について 松田の紹介と『北夷談』からの抜粋)
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釧路一之宮 厳島神社公式HP
http://kushiro-itsukushimajinja.com/precincts.php (2020.7.17確認) (境内の様子 に円空についての記事あり) -
文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/190319 (2020.7.17確認) (円空作仏像薬師像として紹介あり)
- キーワード
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- 堀田仁助
- 松田伝十郎
- 円空仏
- 照会先
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- 釧路短期大学
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000290391