レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:42
- 管理番号
- 滋2023-0047
- 質問
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解決
羽州山形(現:山形市)で呉服太物を商っていた米沢屋勘兵衛という人物に関する古文書を整理していたところ、江州中郡川並の奥井新左衛門さんに関わると思われる古文書が3通(嘉永3が1通、安政3が1通、(嘉永4?)亥が1通)ありました。
山形市史編集資料第34号後藤屋又兵衛家古記録「諸事帳」(弘化3~明治3)には、宿屋頭取・後藤又兵衛が他所諸商人よりの冥加金を取りまとめ、山形藩主水野家へ差上げたとの記録があり、その中に「江州 奥井新左衛門 右仮宿 六日町 米沢屋勘兵衛」と記載されております。
この奥井新左衛門という人物について、
①生没年、「奥井新左衛門家」において何代目の人物か。
②主に何を商っていたか。
③「奥井八次郎」「奥井兵左衛門」とはどういう関係にあるか。
を知りたい。
●その質問の出典や情報源、調査済み事項など
ネットで検索・調査しましたが、詳しいことなどわかりませんでした。
調べたのは、
全国江州系企業調査(小倉榮一郎さんの論考)、
近江商人の幼児教育論(末永國紀さんの投稿)(これによりますと、奥井金六さんの兄に奥井新左衛門さんが呉服商いで手腕を発揮した、とありますが該当するのか否か?、
「イノベーションのジレンマ」(ほのぼの経営研究所)(これには、奥井新左衛門一家の奥井万吉は、・・・とありますが、該当の奥井新左衛門との関係は?)
- 回答
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嘉永3(1850)年から安政3(1857)年の間に記された古文書中にある「江州 奥井新左衛門」に関して、
①生没年、「奥井新左衛門家」において何代目の人物か
②主に何を商っていたか。
③「奥井八次郎」「奥井兵左衛門」とはどういう関係にあるか。
についての調査いたしましたところ、次の資料に記述がありました。
引用の一部について、旧漢字を改めている箇所があります。
【①②に関する記述】
『近江商人事績寫眞帖』に、「第三一図 奥井善亮の肖像 神崎郡南五個荘村 奥井新左衛門氏所蔵」として次のような解説が記されています。
「奥井新左衛門は奥井家中興の人にして通称新吉号を豊軌といふ。善亮は其法名である。資性賢明慈恵且つ才気敏捷なりしため、呉服を京阪に仕入れて信越に販売して家産を大に増殖した。業務の余暇広く和漢の書を渉猟し、就中医業の事に精しかつた。天保十年八月廿三日病に罹り遂に信州松本の旅寓に歿す年四十七。実に近江商人中稀に見るの紳商であった。」
このことから、没年は天保10(1839)年八月廿三日、享年47歳、したがって生年は寛政4(1792)年と推察することができます。また、呉服を商っていたことがわかります。
続けて「第三二図 奥井善亮の絶筆 同氏所蔵」として「奥井新左衛門」の最期について次のような解説が記されています。
「信州にて病歿の前三日自ら病状を書して其の父に報せしものである。文末に和歌『草まくらなやみゐながら天の原ふりさけ見れば月はくまなき』を詠んで暗に絶命の意を寓した。」
『近江商人の系譜』(1990年刊)の巻末に掲載されている「近江商人滋賀県出身、他府県所在商工業者のリスト」に、「所在地/堀留町」「企業名/(株)国洋」「営業種別/繊維品卸」「現在の経営首脳/社長 奥井新一」「創業者起算/13代」「創業年/明治20年」「創業者名/奥井新左衛門」「創業者出身地/五個荘町」と記載されていますが、「奥井八次郎」「奥井兵左衛門」の名は見つからず、「奥井新左衛門」との関係はわかりませんでした。なおこの創業者は年代が違うことから天保生まれの「奥井新左衛門」とは別人です。
【③に関する記述】
国立国国会図書館所蔵の『那珂湊市史料 第三集』(那珂湊市史編さん委員会、1978年)に、「岩手県大槌町前川家文書」のうち「中湊東国屋長右衛門奥井八治郎懸合一件控」として「奥井八治郎」の名が記載されています。(p.141.)この文書は「文政弐年卯正月」(1819年)に「東屋孫八、重吉、九右衛門」が「一条様御勘定所」に宛てたもので次のように記されています。
「私支配東屋孫八孫八並重吉へ江州神崎郡川並村奥井八治郎と申者より金高弐十壱分也取替候所右金未だ相渡候儀相違無之哉右八治郎儀 御殿御立入仕候者ニ而御殿御用御金銀取扱罷有候処上納方未埒ニ付御礼被遊候処孫八重吉へ当座取替置候金子等相滞自然と上納も相滞候旨申立ニ付右八治郎申候ニ相違無之哉虚実御糺被遊度思召右孫八並重吉江右之段相達早々上京仕候而 (以下略)」
ここでは「奥井八治郎」の漢字は「治」となっており、おたずねの「奥井八次郎」と同一人物かどうかは確定できませんが、「江州神崎郡川並村奥井八治郎」であることから「奥井新左衛門」との関係性が推察できます。
『近江神崎郡志稿 上』「産業志(下) 第七章 布帛の商家」に翻刻掲載された、布仕入屋の陳情に関する天保二年の文書中に「仕入職連印帳」として「川並村」の仕入職人の名が記載されていますが、「奥井新左衛門」の名はありませんでした。
同文中には「奥井兵左衛門」についての記述は見つかりませんでしたが、「川並村」には「平左衛門」の名があり、また「金堂村」には「兵左衛門」の名があります。ただし古文書上の「兵」と「平」の漢字の異同や、この人物が「奥井」姓であるかどうかについては確定できません。
『近江商人の系譜』(1990年刊)の巻末に掲載されている「近江商人滋賀県出身、他府県所在商工業者のリスト」に、「所在地/堀留町」「企業名/(株)国洋」「営業種別/繊維品卸」「現在の経営首脳/社長 奥井新一」「創業者起算/13代」「創業年/明治20年」「創業者名/奥井新左衛門」「創業者出身地/五個荘町」と記載されていますが、「奥井八次郎」「奥井兵左衛門」の名は見つからず、「奥井新左衛門」との関係はわかりませんでした。なおこの創業者は年代が違うことから天保生まれの「奥井新左衛門」とは別人です。
なお、資料(4)~(13)には記述が見つかりませんでした。
残念ながらお問い合わせのすべてについては解決できませんでしたが、
ご紹介しました資料はすべて、お近くの公共図書館を通じてお借りいただくことができますので、どうぞご活用ください。
また国会図書館所蔵資料については、Web上に公開されている「国立国会図書館デジタルコレクション」で参照していただくことができますので、利用方法等についてはお近くの公共図書館にお問い合わせください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 近江商人事績寫眞帖 滋賀県経済協会∥編纂 世界聖典刊行協会 1979年[復刻版] 5B-6700- 30
- 2 近江商人の系譜 小倉栄一郎∥著 社会思想社 1990年 S-6700- 90 p.244.
- 3 近江神崎郡志稿 上巻 大橋金造∥編纂 近江神崎郡志稿増補覆刻刊行会 1972年 S-2140-1 pp.1133-1135
- 4 江州商人 江頭恒治∥著 至文堂 1960年 S-6700- 60
- 5 近江商人 江頭恒治∥著 弘文堂 1959年 S-6700- 59
- 6 近江商人 渡辺守順∥著 教育社 1980年 S-6700- 80
- 7 近江商人の系譜 小倉栄一郎∥著 日本経済新聞社 1980年 S-6700- 80
- 8 中世の商人と交通 豊田武∥著 吉川弘文館 1983年 S-6700- 83
- 9 近江商人の系譜 小倉栄一郎∥著 社会思想社 1990年 S-6700- 90
- 10 近江商人の研究 菅野和太郎∥著 有斐閣 1941年 S-6700- 41
- 11 近江商人の内助 渡邊千治郎∥著 太田誠一郎∥著 社會教育會 1935年 S-6700- 35
- 12 近江商人 近江商人末裔会∥編 岩手滋賀県人会∥編 岩手滋賀県人会 1991年 S-6700- 91
- 13 歴史と旅 第26巻第15号 秋田書店 1999年 5-6748- 99
- キーワード
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- 近江商人
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335172