レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:46
- 管理番号
- 滋2023-0045
- 質問
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解決
製茶輸出の祖とされる長崎の大浦慶(1828-1884)は、生糸輸出の始まりにも関係していたようで、建立計画があったが実現しなかった墓表に、近江や彦根の生糸輸出のことが記されています。
このことに関して、また幕末明治初めの生糸の長崎移出に関して、資料や文献があれば知りたい。
●その質問の出典や情報源、調査済み事項など
国会図書館デジタルコレクション『蚕史 下巻』大塚良太郎 編 大塚良太郎,明治33年(https://dl.ndl.go.jp/pid/840640)の
11コマ目(五ページ、後から3行目 故大浦慶子が我が邦生糸及び生茶外輸の率先者)と
12コマ目(七ページ、2行目に「彦根生糸」と10行目「近江等諸処」)と記されています。
- 回答
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1.大浦慶と生糸輸出のかかわりについて
大浦慶について、当館所蔵図書『大浦お慶の生涯』を確認しましたが、生糸輸出とのかかわりについて新たな情報は得られませんでした。
そこで、国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、「大浦慶子伝」という文章が、『文華』第1号((https://dl.ndl.go.jp/pid/1601734/1/21)
(2023年2月1日確認)に掲載されていることが確認できました。この文章には、出典としてお示しいただいた『蚕史 下巻』記載の碑文とほぼ同一内容の文が書き下し文で含まれています。
これらの文献によれば、大浦慶が彦根の生糸を英米伊産国に送ったのは嘉永六年(1853年)とされています。
また、安政五年(1858年)の通商条約成立後に、近江等の全国各地に人を派遣して茶と糸を仕入れ、糸については英国に輸出したと書かれています。
2.幕末・明治初めの生糸の長崎移出について
お示しの文献での生糸について、「彦根産の生糸」と、「近江商人が扱っている生糸」の両方の可能性が考えられます。それぞれご説明します。
(1)彦根産の生糸
江戸時代から、彦根藩の領内(彦根藩領は彦根市を中心に、現在の長浜市にも広がっています)では養蚕がさかんにおこなわれ、生糸ならびにその産物である織物が生産されていました。
『糸の世紀・織りの時代-湖北・長浜をめぐる糸の文化史』によれば、「生糸の生産地を多く抱えた往時の湖北地域からは、多数の良質な絹糸が産出された。その糸は集散地である長浜の町の名をとって『浜糸』と呼ばれ、京都で商われたのである」とあります。普通に読めば、「彦根生糸」とは、この彦根藩領内で生産された生糸と考えられます。ただし、同書によれば、彦根藩領内産物は基本的に藩の統制下にあり、自由な売買は許されませんでした。幕末維新の動乱の中とは言え、彦根産の生糸を長崎に移出することが可能だったかどうかは、文献では確認できませんでした。
なお時代は下りますが、彦根では明治11年(1878年)に県下初の近代的な製糸場が設置され、海外向けにも輸出されていました。(『彦根製糸場 近代化の先駆け』による。)
(2)近江商人と生糸流通
江戸時代から活躍していた近江商人は、「諸国産物廻し」という商法で富を築きました。その一例として、『近江商人学入門』に近江国日野の中井源左衛門家の例が挙げられています。同書によると、中井家は東北から九州まで通算20を超す出店を構え、上方から東北へは古着・薬種・油を送り(「下し荷」)、他方で、東北・北関東では生糸・青苧・紅花などの物産を集荷し、上方で売りさばいており、これらの商品は「登せ荷」と呼ばれていたとのことです。
『[全国の伝承]江戸時代人づくり風土記 50 近世日本の地域づくり200のテーマ』にも、94「養蚕ようさん・製糸」という項があり、「上州(群馬県)では、十七世紀にすでに各地で生糸市が開かれていますが、元禄年間以降、近江商人の進出が活発になり、「登せ糸」が送られるようになりました。」とあります。(http://lib.ruralnet.or.jp/syokunou/lib/fudoki/200/094.html)(2023.1.27確認)
このように、近江商人は全国各地から生糸を集荷して売りさばいていました。
この近江商人に言及した箇所が『日本蚕糸業史』にありましたので、ご紹介します。
『日本蚕糸業史』第1巻・「開港以来の生糸貿易」第一章第一期「揺籃時代」第一節「横浜開港当時の生糸貿易」第二項「生糸輸出の濫觴」という項目に、生糸貿易の先鞭をつけた人物について諸説が紹介されています。
その中に、9つ目の説として、次のような記述がありました。(国立国会図書館デジタルコレクションでは、217コマ目(https://dl.ndl.go.jp/pid/1231332/1/217)(2023.1.28確認)
「九、仏国ロンドー氏著書によれば、日本生糸の初めて欧州に到りしは1858年(安政五年)にしてSodai(ソダイ)糸なり、次でイダ(Ida)糸、前橋糸を輸入し次で奥州糸を輸入せり」とある、これによれば開港以前に於ても輸出のありたるを知るべく、ソダイ糸は曽代糸なるべく、イダ糸は飛騨糸であらう。京都児島定七氏は曰ふ「(略)終に安政六年未五月開港触出の後は横浜打払風説等起りて屡々乱高下あり相庭も浜附六七十両前後となりたるより機敏なる商人は長崎へ曽代益田糸を持下りて巨利を射しもの少なからず、多くは皆近江商人であった」之によりて観れば其の当時曽代糸は優等なる糸にして西陣に於て重用せられたるものにして其の長崎より開港以前に輸出せられたるは事実なるべくロンドー氏の記載と一致している(以下略)」
この記述から、近江商人が長崎からの生糸の輸出で巨利を得たと言われていたことがわかります。ただし、人物名の記載はなく、このエピソードと大浦慶が関係するかどうかは判明しませんでした。
引用文中、読みやすさを考慮し、旧漢字は新漢字に、漢数字は算用数字に直した箇所があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1.大浦お慶の生涯 小川内清孝∥著 商業界 2002年 2-2891-オ
- 2.『文華』第1号 1893 国立国会図書館デジタルコレクション(p.34-35:第21コマ)
- 3.糸の世紀・織りの時代 長浜市長浜城歴史博物館∥企画・編集 長浜市長浜城歴史博物館 2010年 S-5860- 10 p.47,p.59
- 4.彦根製糸場 彦根城博物館∥編集 彦根城博物館 2018.9 S-6351- 18 p.31
- 5.近江商人学入門 末永国紀∥著 サンライズ出版 2004年 S-6700- 04 p.102-104
- 6.[全国の伝承]江戸時代人づくり風土記 50 近世日本の地域づくり200のテーマ 会田雄次∥監修 大石慎三郎∥監修 農山漁村文化協会 2000年 2-2105-50 p.93
- 7.日本蚕糸業史 第1巻 大日本蚕糸会∥編纂 大日本蚕糸会 1935年 2-6321-ニ p.85
- 8.工女への旅 早田リツ子∥著 かもがわ出版 1997年 S-3651- 97
- 9.新修彦根市史 第3巻 通史編 近代 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2009年 S-2151-3
- 10.新修彦根市史 第2巻 通史編 近世 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2008年 5-2151-2
- 11.長浜市史 第3巻 町人の時代 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 1999年 S-2161-3 p.200-212
- 12.彦根市史 下冊 彦根市∥[編集] 彦根市役所 1964年 S-2151-3
- 開港と生絲貿易 中巻 藤本實也∥著 名著出版 2018.7 3-6782-フ
- 13.滋賀県勧業課年報 第1回 滋賀県勧業課∥編 滋賀県 1879年 S-6000-879
- 14.近江商人幕末・維新見聞録 佐藤誠朗∥著 三省堂 1990年 5-6700- 90 p.381-(明治五年の近江商人の日記・糸の買い付けの様子あり)
- 15.日本蚕糸業史分析 石井寛治∥著 東京大学出版会 1981年 2-6321-イ
- キーワード
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- 大浦慶
- 生糸
- 貿易
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335170