レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:33
- 管理番号
- 滋2023-0037
- 質問
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解決
近江三筆とは誰か。また、墓はどこにあるか
- 回答
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1.近江三筆について
『近江神崎郡志稿』上巻に、「佐々木南北諸士帳に 木流村住 建部伝内 同才八郎(中略)などの名が連載してある。才八郎の肩書に近江三筆としてあるが、輿地志略には伝内賢文を近江三能筆の随一なりと記し、他の二人は河曲壱岐守澤井某としてある」との記述があります。
そこで、『近江輿地志略』(江戸時代に書かれた近江の国の地誌)を確認したところ、「建部伝内賢文」の項に「所謂近江三能筆の随一なり」とあり、「河曲壱岐守」の項には、「近江国三人の能筆なりといふ。(中略)所謂三能筆とは澤井・建部、この河曲なり。」とありました。
また、当館所蔵の『江州佐々木南北諸氏帳』(『滋賀県中世城郭分布調査第五巻』所収の翻刻の抜き刷り)には、建部伝内の項に「近江三筆」と肩書がありました。
以上のことから、近江三筆の建部伝内以外の二人は河曲壱岐守と澤井某です。
なお、河曲壱岐守については上述の『近江輿地志略』に記述がありますが、墓については書かれていません。
澤井某については、上述の『近江輿地志略』『近江神崎郡志稿』のほか『日本書画人名辞書』『日本書画鑑定大事典』にも記述がなく、詳細不明です。
2.建部伝内賢文の墓について
建部伝内賢文(1522~1590)については、上述の図書の他、『五個荘町史』第一巻にも5ページにわたって記述があり、「近江国蒲生郡西老蘇村(安土町)の東光寺に葬られた」とありました。
一方で、『滋賀県の地名』には、「天保11年建部氏末裔の旗本建部昌滋が法蓮寺門前に建てた碑には『建部氏中古先祖、明徳年間以来、詮秀、頼秀、秀用、秀昌、賢文五大戦死等之蹟墓処也』とある。」とあります。法蓮寺は、現在の東近江市五個荘木流町にあります。
『建部伝内賢文の書』『建部伝内先生遺芳』も確認しましたが、墓については記述がありませんでした。
引用文中の旧漢字は、適宜新漢字で記述しています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1.近江神崎郡志稿 上巻 大橋金造∥編纂 近江神崎郡志稿増補覆刻刊行会 1972年 S-2140-1 p.339
- 2.近江輿地志略 全 寒川辰清∥著 宇野健一∥改訂校註 弘文堂書店 1976年 S-2900-734 p.1146-1147
- 3.江州佐々木南北諸士帳 玉井元度∥写 松野喜内∥写 滋賀県教育委員会 1987年 5P-2800- 87
- 4.五個荘町史 第1巻 古代・中世 五個荘町史編さん委員会∥編集 五個荘町役場 1992年 S-2148-1 p.862-866
- 5.滋賀県の地名 平凡社地方資料センター∥編集 平凡社 1991年 S-2900- 91 p.672
- 6.日本書画人名辞書 青盖居士∥編輯 博文館 1903年 2-728*-セ
- 7.日本書画鑑定大事典 別巻(総索引) 中野雅宗∥編著 国書刊行会 2013.11 R-7210-10
- 8.建部伝内先生遺芳 [建部伝内]∥[原筆] [中村商家保存館]∥[編集] 中村商家保存館 1999年 5-7242- 99
- 9.建部伝内賢文の書 中村武三∥著 中村商家保存館 2013.10 5-7242- 13
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335166