レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:04
- 管理番号
- 滋2023-0018
- 質問
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解決
滋賀県の愛知川にある老舗料理旅館「竹平楼」について、宝暦八年開業当時は筍屋という屋号であったというが、その歴史的経緯について詳細が示されている資料を探したい。
- 回答
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「筍屋」に関しては、次の記述があります。
①『道中記でみる愛知川宿』
本書で紹介された道中記には、「竹の子や」「筍屋」という屋号の旅籠屋が複数見られます。
本書のp.19では、1858年(安政5年)刊の『五海道中細見記』についての論考として、「愛知川宿では、旅籠屋として『竹の子や十郎兵衛』が、御休所として『ふぢや幸右衛門』が紹介されている。天保13年(1842)の『青葉日記』の著者は、愛知川宿の「藤や何がしというものの家にやどりぬ」とあり、この『藤や』が『ふぢや幸右衛門』であろうか。また同書では『この宿(愛知川宿)には竹の子屋という名の宿やおおし』とも述べており、竹の子屋という宿が何軒かあったことが分かるので『竹の子や十郎兵衛』もその1つであろう。愛知川宿の『往還絵図』には宿の南入り口付近に『幸右衛門』の家と『十郎兵衛』の家が描かれており、十郎兵衛は『出見世』を持っているのが分かる。」との記述があります。
p.20には『近江愛智郡志 第2巻』p.438にも名前のある「筍屋平八」について、『近江愛知川町の歴史 第2巻』より『往還絵図』の図を部分転載し、「この『往還絵図』の「筍屋平八と宿場南入り口近くの『十良兵衛出見世』の位置は、現在の『竹平楼』」との記述があります(「竹平楼聞き取り調査2016」の註あり)。
竹平楼の歴史に関しては、次の資料に、主に1878年(明治11年)の明治天皇巡幸を中心とした記述があります。
②『近江愛智郡志 第2巻』
p.438古老に聞いた愛知川宿駅の17戸の旅館の屋号の中に、「筍屋平八」の屋号が見られます。
p.602-607明治天皇巡幸について、当時の様子が詳しく書かれています。
竹平楼三代目主人と家族による当年の手記「明治十一年十月當國御巡幸御小休ニ付略記」が活字に起こして掲載されています。
明治天皇御座所を聖跡として保存する御幸会の設立についても記述があります。
③『明治天皇聖蹟誌』
明治天皇巡幸の記録の中に、竹平楼に関する記述があります。
p.278・279には「明治天皇愛知川御小休所」として竹平楼の御座所となった建物について詳しく書かれています。
図版として玉座と御小休所外観などの写真が掲載されています。
④『近江愛知川町の歴史 第2巻 近世・近現代編』
p.489・490には、御幸会設立の歴史について詳細な記述があります。
1912年(大正元年)10月12日に竹平楼にて開催された初回の御幸会の様子も詳しく書かれています。
p.522,523には、明治天皇巡幸について、御座所の建築や準備にかかった費用など、当時の様子が詳しく書かれています。
⑤『近江愛知川町の歴史 第4巻分冊1 ビジュアル資料編』
p.32-36「旅館」の章にて、竹平楼が取り上げられ、接客に供された品々、明治天皇巡幸ゆかりの品、御幸会ゆかりの品、
また巌谷一六など竹平楼に宿泊滞在した文人墨客の書画が、写真入りで掲載され説明が付されています。
⑥『近江愛知川町の歴史 第4巻分冊2 ビジュアル資料編』
p.192-194に「料理旅館 竹平樓 愛知町愛知川<御幸町>」の章があり、明治天皇巡幸について、
建物の新築やもてなし様子がわかりやすくまとめられています。
また、御座所保存の経緯や、国の史蹟指定・登録文化財指定について記述があります。
2001年(平成13年)に登録文化財に認定された御座所と大広間などの写真も掲載されています。
p.218には「竹平樓に下賜された三組杯」「竹平樓(玉座)」「竹平樓(玄関)」の古写真が掲載されています。
⑦『近江骨董紀行』
p.107-112「中山道愛知川宿、竹平樓にて」の章にて、明治天皇巡幸と御座間の建築、竹平楼に伝わる書画について記述されています。
・なお、「竹平楼」の沿革および屋号が現在の「竹平楼」に改められた歴史的経緯については、
竹平楼の公式ホームページの「会社案内」(https://www.takeheiro.com/company/ 2022年9月28日閲覧)に記述がありました。
「沿革」のページには、
「1758年(宝暦8年) 初代 平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営む
1878年(明治11年) 三代目の折に、明治天皇が民情視察の為御小休所としてご利用いただく。
その時に侍従長の岩倉具視、大隈重信、井上馨、山岡鉄舟などもお供としてお越しになる。
1912年(明治45年) 御幸会の結成
大正初期頃 屋号を「竹の子屋」から「竹平楼」と改める
四代目女将において、当家名物「鯉のあめ煮」を考案する
2000年(平成12年) 玉座と大広間を国の登録有形文化財に指定頂く」との記述があります。
「竹平楼の歴史」のページには、
「創業は宝暦八年、初代平八が「竹の子屋」の屋号で旅籠を営んだことに始まります。
(中略)
四代目平八の時に、「竹の子屋」の屋号から「竹」と平八から「平」をとり「竹平楼」と改めて
現在七代目が受け継ぎ260年の永きにわたり地域の皆様にご愛顧を頂いております。」との記述があります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 道中記でみる愛知川宿 愛荘町立愛知川図書館∥編 愛荘町立愛知川図書館 2016.3 SB-6854- 16 p.9、18、19、20、23、24、25、26 p.29-31
- 2 近江愛智郡志 第2巻 中川泉三∥編 名著出版 1971年 S-2150-2 p.438、602-607
- 3 明治天皇聖蹟誌 滋賀縣∥編 滋賀縣 1941年 S-2000- 41 p.41-43、52、53、56、278、279、巻末図版82-86
- 4 近江愛知川町の歴史 第2巻 近世・近現代編 愛知川町史編集委員会∥編集 愛荘町 2010.3 S-2154-2 p.489、490、522、523
- 5 近江愛知川町の歴史 第4巻分冊1 ビジュアル資料編 愛知川町史編集委員会∥編集 愛荘町 2007年 S-2154-4 p.32-36、218
- 6 近江愛知川町の歴史 第4巻分冊2 ビジュアル資料編 愛知川町史編集委員会∥編集 愛荘町 2007年 S-2154-4 p.192-194
- 7 近江骨董紀行 筒井正夫∥著 新評論 2007年 S-7500- 07 p.107-112
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335155