レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2023/6/30
- 登録日時
- 2023/07/01 00:30
- 更新日時
- 2023/09/08 12:12
- 管理番号
- 滋2023-0007
- 質問
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解決
中世以来の長浜南郊の名家、下坂(阪)氏の幕末の当主「下坂篁斎」と、下坂篁斎の六男、江馬天江(俊吉、正臣)の実兄である「下阪簡」について知りたい。
- 回答
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【下坂篁斎について】
下坂篁斎(高凱)の生没年は、『国史跡北近江城館跡群下坂氏館跡下坂家住宅主屋及び門修理工事報告書』に掲載の「下坂氏・下坂家住宅及び不断光院本堂・書庫関係年表」(p.78-79)によると、寛政3年(1791年)4月20日生まれ、明治5年(1872年)11月16日没です。
下坂篁斎略歴については、以下の3冊に記述があります。
①『近江坂田郡志 下巻』のp.832-833、下坂篁斎の子である淡海緝(板倉槐堂)についての項目の1・2行目に、「父篁齋は徂徠派の儒者にして、類聚言數十卷を著す」とあります。
②『長浜市埋蔵文化財調査資料 第61集 下坂氏館跡総合調査報告書』第5章「下坂家文書」第4節「下坂氏が輩出した幕末・維新の偉人」p.62に、「江戸後期の下坂氏当主であった高凱は、『下坂氏由緒書』や『高雲山不断光院書記』などを著し、南北朝以来の下坂氏の歴史編纂を熱心に行った。字を子風といい、篁齋と号した。その長男が柳坪高巖で家督を相続したが、4男の板倉槐堂と、5男の江馬天江は、幕末維新の勤皇の志士と著名である。」とあります。
※「『下坂氏由緒書』や『高雲山不断光院書記』など」は下坂家文書の一部です。同書p.64-81の「下坂家文書目録」には、他にも下坂篁斎(高凱)を筆者とする文書が見られます。他に篁斎(高凱)関する記述として、同書p.59に「下坂氏に残る『高凱随筆』(「下坂家文書」D5)は、江戸時代後期の下坂氏当主であった高凱が、文化13年(1816)にまとめた下坂家の歴史考証書である。」とあります。
③先の資料「下坂氏・下坂家住宅及び不断光院本堂・書庫関係年表」(p.78-79)には、下坂篁斎に関して次のような記述があります。
・1791寛政3辛亥4月20日 下坂繁治高凱(半治、高知の3男、改名:甲内、字子風、篁齊)誕生 下坂家文書(D17)
・1810文化7庚午6月27日 下坂高凱婚姻 下坂家文書(D7)
・1811文化8辛未5月13日 下坂柳坪(高凱の子、幼名:勇助・雄介・勇介、改名:柳坪、字:高巌)誕生 下坂家文書(D7)
・1827文政10丁亥2月晦日 下坂柳坪元服、下坂高凱が甲内に改名する 下坂家文書(D7)
・1837天保8丁酉2月 下坂高凱が隠居する 下坂家文書(D7)
・1872明治11壬申11月16日 下坂高凱没 下坂家文書(D7)、下坂家文書追加「過去帳」
※当年表には出典資(史)料として記された「下坂家文書」(D7)・(D17)などの番号は、②の資料p.64-81の「下坂家文書目録」に拠るものと思われ、(D7)が『下坂家歴代考記』(下坂篁斎(高凱)著)、(D17)が『下坂氏由緒書』です。
【下阪簡について】
下阪簡は、江馬天江が緝譯した『青嚢珍珠』巻之三の最後に跋(安政四年)を書いており、この跋の冒頭に「弟正臣」とあります。なお、当館が所蔵する各種人名事典には記載は見つかりませんでした。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 国史跡北近江城館跡群下坂氏館跡下坂家住宅主屋及び門修理工事報告書 OFFICE萬瑠夢∥執筆・編集 下坂家住宅下坂幸正 2016.3 SB-5261- 16 P.78-79
- 2 近江坂田郡志 下巻 坂田郡役所∥編 賢美閣 1980年 S-2160-3 P.832-833
- 3 長浜市埋蔵文化財調査資料 第61集 下坂氏館跡総合調査報告書 長浜市教育委員会∥編集 長浜市教育委員会 2005年 SB-2261-61 篁斎に関する記述:P.59・62 下坂家文書目録:P.64-81
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000335151