レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2022/9/30
- 登録日時
- 2022/11/18 00:30
- 更新日時
- 2022/11/18 00:30
- 管理番号
- 滋2022-0004
- 質問
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解決
竹生島の弁天について詳しく書かれた文献を知りたい。
特に歴史的な経緯や、弁天信仰に関係した人々(寄進なども含む)に関係した文献を知りたい。。
- 回答
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『豊臣家ゆかりの天女の島』所収の「竹生島の歴史と弁才天信仰の起源」(太田浩司)には、「『竹生島縁起』によれば、当地にはもともとある浅井姫命が鎮座し、水神として崇められていたという。ここに初めて寺としての伽藍を開いたのは、奈良時代の僧・行基だとされ、天平10年(738)に、長二尺の四天王像を造り、小堂を構えて安置したと記される。」と竹生島信仰の始まりを紹介しています。そして、「(前略)平安時代には弁才天信仰が浅井姫命の信仰と習合し成立、主に地元の権力や民衆によって伝承され守られていく。」と弁才天信仰の起源が記されています。
あわせて、塩津港遺跡から出土した起請文木札に書かれた神名「竹生弁才天女」・「竹生嶋弁才天女」・「竹生弁才」・「竹生神社」と、年号保元元年(1156)、保元2年(1157)、永暦元年(1160)、仁安3年(1168)から、「(前略)竹生島弁才天が12世紀中期には民衆のなかに、「郡神」として認識されていた事実を知ることができる。やはり、竹生島における弁才天信仰は、平安時代中期には創始され、同後期には浅井郡の民衆に根づいていた事実を、確実な史料で確認し得たのである。」と結論づけています(引用者註:年号・西暦の漢数字をアラビア数字に変更)。
また、弁才天を信仰した歴史的人物として、足利尊氏から始まる歴代室町幕府将軍、当地の守護である京極氏・六角氏、戦国大名の浅井三代、織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、歴代徳川将軍などを紹介しています。
同書には宝厳寺が所蔵する足利尊氏や豊臣秀吉の寄進状、京極氏や織田信長の書状などが解説とともに翻刻文が掲載され、竹生島との関係の深さがうかがわれます。
そのほかの文献は下記の調査資料2~8を参考にしてください。
なお、1には、単行本だけでなく、論文や史料を含む多くの参考文献が掲載されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
- 参考資料
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- 1 豊臣家ゆかりの”天女の島” 大阪城天守閣∥企画・編集 長浜市長浜城歴史博物館∥企画・編集 大阪城天守閣 2020.3 S-1861- 20 pp.135-137
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2 長浜市史 第1巻 湖北の古代 長浜市史編さん委員会∥編集 長浜市役所 1996年 S-2161-1 pp.426-428 -
3 東浅井郡志 第1巻 黒田惟信∥編 名著出版 1971年 S-2160-1 -
4 東浅井郡志 第4巻 黒田惟信∥編 名著出版 1971年 S-2160-4 -
5 戦国武将の竹生島信仰 長浜市長浜城歴史博物館∥執筆・編集 竹生島宝厳寺 2011.4 S-3861- 11 -
6 竹生島 竹生島奉賛会∥企画・編集 竹生島奉賛会 2017.1 S-2961- 17 -
7 竹生島宝厳寺の歴史と寺宝 長浜市長浜城歴史博物館∥企画・編集 長浜城歴史博物館 2010年 S-1861- 10 -
8 特別展竹生島宝厳寺 長浜市立長浜城歴史博物館∥編集 長浜市立長浜城歴史博物館 1992年 S-1869- 92
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000324255