レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2021/4/8
- 登録日時
- 2021/09/11 00:30
- 更新日時
- 2021/09/11 00:30
- 管理番号
- 滋2021-0005
- 質問
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解決
仁正寺藩主であった市橋長政公の養父長勝公の室について、また、市橋長政らのエピソードがわかる資料も併せて教えてほしい。
- 回答
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市橋長勝の室は、『近江蒲生郡志』 巻4の第5節「市橋長勝」に「(以上略)室は淺井新八郎政貞の女なり。」とあり、『尾張群書系図部集』 上巻の浅井氏の系図では、「浅井備中守・苅安賀城主(伝兵衛、信濃守)(新三郎、新八郎高政)」の子のひとりに「女子 市橋下総守長勝妻」と書かれています。
エピソードとして『近江日野の歴史』 第8巻の第二節「さまざまな領主」の「市橋家の系譜」には、「長政(略)(元和)二年父長勝越後国に封をうつさるゝのとき、長政彼国にをいて別に三千国の地をたまひ、長勝にしたかひ領地におもむく、(元和)六年長勝卒し、実子なきにより、其所領を公収せられ、近江国蒲生・野洲、河内国交野三郡のうちにをいて二万石を長政にたまひ、長勝か家を相続せしめらる、このとき近江国ハ豊熟の地なり」と、紹介しています。
市橋長勝については、『寛政重修諸家譜』に「弘治三年美濃国に生る。(略)天正十五年同国今尾の城にうつり、一万石を領す。(略)慶長十三年今尾をあらため伯耆国(ほうきのくに)矢橋(やはせ)城をたまい、河内国の所領をあわせ二万千三百国を領す。(略)橋をあらため越後国三條の城をたまわり(以下略)」とあり、『三百藩藩主人名事典』2巻には今尾藩主在籍時のこと、『三百藩藩主人名事典』3巻には三條藩主在籍時のこと、『 三百藩藩主人名事典』4巻には矢橋藩主在籍時のことが書かれています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 個人伝記 (289 8版)
- 参考資料
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- 1 近江蒲生郡志 巻4 蒲生郡役所∥編集 蒲生郡役所 1922年 S-2140-4 p.115
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2 近江日野の歴史 第8巻 史料編 日野町史編さん委員会∥編集 日野町 2010年 S-2145-8 p.60-62 -
3 寛政重修諸家譜 第14 続群書類従完成会 1965年 R-2882-14 p.386-387 -
4 三百藩藩主人名事典 2 藩主人名事典編纂委員会∥編 新人物往来社 1986年 R-2810-2 p.371-372 -
5 三百藩藩主人名事典 3 藩主人名事典編纂委員会∥編 新人物往来社 1987年 R-2810-3 p.32,298 -
6 三百藩藩主人名事典 4 藩主人名事典編纂委員会∥編 新人物往来社 1986年 R-2810-4 p.46 -
1 東京大学日本史学研究室紀要 第5号 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部日本史学研究室∥編集 東京大学 2001年 S-2545- 01 -
2 近江日野の歴史 第3巻 近世編 日野町史編さん委員会∥編集 日野町 2013.3 S-2145-3
- キーワード
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- 市橋長勝
- 室
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000304543