レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年12月16日
- 登録日時
- 2023/03/14 10:55
- 更新日時
- 2023/11/04 14:53
- 管理番号
- M0373
- 質問
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未解決
野付半島に墓が見つかったという記事をどこかで読んだが、その「幻の街 キラク」と言われる所のかつての文化がわかる資料が見たい。
- 回答
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依頼者には資料①・⑦を主にご紹介した
- 回答プロセス
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そのほか確認した各種データベース・webページ情報(最終確認日:2023.3.14)
・レファレンス協同データベース (管理番号 北方 17-0043)
「別海に江戸時代あったという、幻の町キラクについて。遊郭もあったらしい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000228806
(管理番号 桜-1-00022)「縄文時代から現代までの野付半島の歴史が知りたい。
特に『菜の花の沖』司馬遼太郎/著 に記載がある「幻の町」が知りたいので、江戸時代を中心に調べて欲しい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000187602
(管理番号 中野0523)「新沼謙二の「まぼろしのキラク」という曲を聴き、200年前に実際にあったという港町キラクについて興味がわいた。キラクについてかいてある本(小説でも可)が読みたい。」
https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000246690
・北海道マガジン「カイ」特集「鮭の聖地」の物語~根室海峡 1万年の道程 より
http://kai-hokkaido.com/feature_vol44_episode1/
別海町郷土資料館・加賀家文書館学芸員による野付について文献紹介も含め簡潔にまとめられている。
◆別海町(町公式HPによる野付の地理・歴史についての説明)
https://betsukai.jp/kanko/kanko_spot/keikan_spot/10kei/notuke_peninsula/
◆別海町観光協会 https://betsukai-kanko.jp/watch/
上記(別海町・別海町観光協会)◆2点のURLに「幻の街キラク」と題し「「江戸時代から明治の初期にかけて、野付半島の先端に港町として栄えた「キラク」という街があった。武家屋敷が立ち並ぶ街の道は敷石で整備され、遊郭があって女性もたくさん住んでいたらしい」。野付半島では、このような話が古老によって語り継がれてきました。 しかし、古い地図や文献には「キラク」があったことを立証する明確な記述はなく、幻の街として今も人々の歴史ロマンをかきたてています。」と同じ文章で説明されている。
・別海町ホームページより『別海町郷土資料館だより』
通巻120号 https://betsukai.jp/kyoiku/kyoudo/news/h21/
通巻129号・通巻130号 https://betsukai.jp/kyoiku/kyoudo/news/h22/
・鮭の聖地の物語 http://www.heritage-of-salmon.com/
2020年6月に日本遺産として認定される。当WebサイトのStory01に野付通行屋跡遺跡について「江戸時代、国後島への渡海拠点として幕府が野付に整備した休泊施設。幻のまちキラク伝説のモデルといわれている。 開設以来、多くの人々がここに立ち寄り、国後島へと渡っていた。また北方四島からもたらされる生産物の輸送中継点としても利用された。 根室振興局により北方領土遺産として選定されている」と紹介されている。
・根室振興局 「野付通行屋・番屋跡遺跡を訪ねる北方領土遺産ツアー」
http://www.nemuro.pref.hokkaido.lg.jp/ts/hrt/monogatari/H31isantourr.htm
2019(平成31)年の北方領土遺産ツアーの報告
- 事前調査事項
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参考資料③
・p.166「そして北辺の防備の要所として国後には、厚岸からベカンベ川を遡りノコベリベツ、アンネ別を通って風連湖から船でニシベツ寄り、ノツケより国後へ渡るコースと、ニシベツから直接国後へ渡るコースが開発されるに至り、ノツケと国後、択捉間の便船が繁しくなり、多くの幕府の役人が往来した。そのため寛政十一年(一七九九)には、ノツケには他の十ヵ所とともに旅宿所が設けられ、国後渡海への要津となったのである。」
・p.167には「このころより、野付半島の漁場では番人が越冬をはじめていった。漁場の開発もさることながら、こうして番人たちが越冬することにより、漁網・漁具の修理や開発により、漁獲高の増収がはかられていった。」
・p.177-179には「野付半島に今も残る墓碑」や供養法要の様子が写真付きで、他にも国泰寺が関係した野付の様子が紹介されている。
- NDC
- 参考資料
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- ①『スロウ』2017年7月25日号(資料コード:216851529) (※p.159に「夢か幻か…野付半島の伝説の町、キラクを訪ねる」という記事あり。)
- ②『北方未公開古文書集成(第4巻)』寺沢 一ほか/責任編集, 叢文社, 1978.6, K 290.8 /T /4(資料コード:211303697) (※『休明光記』(羽太庄左衛門正養/著)P.58 寛政11(1799)年、東蝦夷地仮上知:8ヵ所の会所設立地にノツケが含まれている。会所とあるが、要件は旅宿所。)
- ③『別海町百年史』別海町百年史編さん委員会/編集,別海町, 1978, K 293 /B /(資料コード:211305163) (※p.166~167、p.177~179)
- ④『野付半島調査報告』 北海道大学探険部/編, 北海道大学探険部, 1961-1964, KT 291 /H /(資料コード:215911379)
- ⑤『野付半島調査』北海道大学探険部/編, 北海道大学探険部, 1964, K 293 /H /(資料コード:211945590) (※沢 四郎の「遺跡 野付半島の周辺遺跡踏査報告」P.76 にキラク町についての説明がある。「本地点には想像以上の大集落が存在したのではないかと思われる。」「450軒はあつたろうと云われていた」とも書かれている。)
- ⑥『標津ひとむかし:標津・野付の明治・大正・昭和史話』 標津町郷土研究会/編, 標津町郷土研究会, 1991.8, K 293 /S /(資料コード:213169741)
- ⑦『輪廻の砂嘴:きらく墓地献歌碑建立について』きらく先人を偲ぶ会/編, きらく先人を偲ぶ会, 1984.8, K 293 /K /(資料コード:213477118)
- キーワード
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- キラク
- 別海
- 野付通行屋
- ノツケ
- 砂嘴
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 所蔵調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 学生
- 登録番号
- 1000330287