レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年09月24日
- 登録日時
- 2012/09/25 11:25
- 更新日時
- 2012/09/28 18:19
- 管理番号
- NIER2012048
- 質問
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解決
明治時代に、文部省による大学教師海外留学制度で海外に留学した、【中田薫】という人がどこに留学したのか知りたい
- 回答
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岩野 英夫「わが国における法史学の歩み(一八七三-一九四五):法制史関連科目担任者の変遷」の注より、
ドイツのハイデルベルヒ大学に留学、他、フランス・イギリスを遊学した、ということがわかった。
- 回答プロセス
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岩野 英夫「わが国における法史学の歩み(一八七三-一九四五):法制史関連科目担任者の変遷」
同志社法學 39(1/2), 225-312, 1987-07-31 URL→http://ci.nii.ac.jp/naid/110000588862
の年表に【中田薫】の記載があり、その注に『法學協會雑誌 第26巻第4号』「雑録」より
「中田助教授の留学」の記事が引用されていた。
それによると、「先つ獨逸に到りかの古色蒼然たる『ハイデルベルヒ大学に入りて研学」し、
「今や斯の篤学の学士にして史的研究の最も旺盛たる獨、佛、英に遊学」したとある。
原典に当たったところ、旧字体(學など)が新字体(学など)に変更されている程度の違いで、
全文掲載されていたため、質問者にはciniiで公開されている前掲の論文を紹介した。
また、『近代日本海外留学生史』(参考資料)には簡単な略歴と、留学先の国、帰国後の活躍などにも軽く触れられている。
参考資料として、
・井ヶ田良治「中田薫」(潮見俊隆・利谷信義『日本の法学者』昭和49年)
・石井紫郎「中田薫」(永原慶二他編『日本の歴史家』1967年)
・久保正幡「中田薫先生の遺されたもの」(『図書』1970年10月)
等も掲載されていた。
所蔵が無いので内容の確認はできていないが、質問者に紹介した。
- 事前調査事項
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・『明治41年3月31日に出発』(官報 明治41年3月31日付より)し、三年後の『明治44年6月21日に帰朝』(官報 明治44年8月14日付より)したことはわかっている。
・中田薫は、東京帝国大学の助教授、法律科
- NDC
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- 教育史.事情 (372 9版)
- 参考資料
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『法學協會雑誌』
法學協會 【当館請求記号】ZL||4 -
『近代日本海外留学生史』
文部省 【当館請求記号】372.1||374
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『法學協會雑誌』
- キーワード
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- 文部省外国留学生
- 東京帝国大学
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000111751