レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2016/3/11
- 登録日時
- 2016/04/21 00:30
- 更新日時
- 2016/04/21 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0055
- 質問
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解決
甲賀市甲南町でおこなわれている「瀬古の流星」について、由来がわかる資料はないか。
- 回答
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『甲賀市史 第6巻』によりますと、瀬古の流星とは「甲南町竜法師(りゅうぼし)のうち瀬古(せこ)のカイトでは、毎年九月十二日に、「流星(りゅうせい)」が打ち上げられる。流星とは竹筒に火薬を詰めた簡易な手作り花火のことで、瀬古薬師(せこやくし)堂の会式(えしき)に合わせて奉納される。薬師堂はその由緒(ゆいしょ)によれば、伝教大師最澄(でんきょうだいしさいちょう)が疫病(えきびょう)退散のために薬師如来(やくしにょらい)を安置したのが始まりで、かつて近隣一帯に火災があった時に薬師堂だけが延焼を免れたため、この薬師を「火伏(ひぶ)せ薬師」と呼ぶようになったとされ、花火もこうした伝承にかかわるものとして伝えられてきた。流星がいつ、どのようにして始まったかを知る史料はないが、瀬古青年(薬師堂の世話役で十八歳から二八歳までの男子があたる)が保管する明治(めいじ)三十四(一九〇一)年の「瀬古有志万買物帳」には、火薬の原料である硝石(しょうせき)や硫黄(いおう)を寺庄(てらしょう)の商店より購入した記録があり、その頃は村人が火薬を調合し、打ち上げられていたことがわかる。」とあり、さらに「「流星」の起源については、よく「甲賀忍者(こうかにんじゃ)」の狼煙(のろし)に起源すると説かれるが、その目的は火難除けの祈願とともに、暑気払いを兼ねた娯楽(ごらく)にある。花火を打ち上げ、村人の目を楽しませる伝統がこの地にはあったのである。その意味で「流星」は杣谷(そまだに)に広く見られた「灯籠(とうろう)行事」などと共通点があり、「火の風流(ふりゅう)」の一つと考えることができる。」とあります。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 年中行事.祭礼 (386 8版)
- 参考資料
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- 1 甲賀市史 第6巻 民俗・建築・石造文化財 甲賀市史編さん委員会∥編集 甲賀市 2009年 S-2133-6 p.239-241
- キーワード
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- 瀬古の流星
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000191485