レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018/11/01
- 登録日時
- 2018/11/03 00:30
- 更新日時
- 2018/11/07 13:13
- 管理番号
- 滋2018-0013
- 質問
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解決
彦根市にあった松原内湖について、江戸時代から干拓されるまでの利用の様子がわかる資料が知りたい。また、干拓の変遷や干拓後の土地利用についても知りたい。
- 回答
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①内湖の利用の様子について
時代を追って内湖の利用を追うには、『新修彦根市史 第2巻~第4巻』が便利です。また、『松原町概略史』、『内湖とその暮らし』等にも記述があります。
『新修彦根市史』の記述をもとに概括しますと、江戸時代以前から村民による漁業や(肥料としての)藻泥採取が行われていたほか、水運・水上交通の場として多分に活用されていたようです。
大正期には鉄道と水上交通を結び付ける目的で、彦根港の移転工事が行われ、汽船の発着も行われていたとされています。
その後、昭和19年(1944年)に食糧増産を目的とした干拓事業が開始されました。
②干拓の変遷について
主として松原内湖の干拓とは、昭和19年(1944年)に始まり、昭和23(1948年)年3月に完了した干拓事業を指すようです。
『新修彦根市史』によりますと、この干拓事業には勤労奉仕の学生や連合軍捕虜も動員されたとの記述がありますが、具体的な工事の進捗状況を確認できる資料はありませんでした。
また、この干拓以外にも、内湖周辺の埋立・浚渫はたびたび行われたようです。規模の大小を問わず、記述の見つかったものは下記の4件です。
(1)戦国時代~彦根城築城時の芹川付け替え
(2)大正期の彦根港の移転工事(上記):小島を削り、内湖の一部を埋立
※昭和19~23年(1944~1948年)の干拓事業
(3)昭和24年(1949年)、マラリヤ対策として彦根城外堀の埋立
(4)昭和37年(1962年)、芹川改修工事および新彦根港拡張工事に伴うもの
③昭和23年(1948年)の干拓完了後の土地利用について
戦後も農地として利用されたほか、『新修彦根市史 第4巻 通史編 現代』(p.49 図5)によれば、昭和25年(1950年)ごろには綜合運動場や水産試験場がすでに立地しており、いっぽうで水域も一部残されていることがわかります。
その後、上記(4)の工事による埋立に、漁業権を理由として村民が反対したとあり、当時もまだ漁場として利用されていました。
同時期には、干拓地を都市計画用地へ転用する構想も検討されており、昭和39年(1964年)時点で、北部:工業団地、湖岸部:観光施設、その他は住宅地化する案もありましたが、実際には全面的な転用には至らなかったとされています。
さらに時代を下って、平成元年(1989年)9月15日付け読売新聞記事には、干拓地について「現在は住宅団地となっているほか、県東北部流域下水浄化センターの建設が進められている。」との記載があります。
なお、これらの経緯については、一覧できる資料がないため、主に『新修彦根市史』の記述をもとにしています。
記述箇所は【参考資料】のページ数をご参照ください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 農業工学 (614 8版)
- 参考資料
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- 1 新修彦根市史 第2巻 通史編 近世 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2008年 S-2151-2 p.40~42、p.566~
- 2 新修彦根市史 第3巻 通史編 近代 彦根市史編集委員会∥編集 彦根市 2009年 S-2151-3 p.259~261、p.404、p.533~p.535、p.695、p.709
- 3 新修彦根市史 第4巻 通史編 現代 [彦根市史編集委員会]∥[編集] 彦根市 2015.1 S-2151-4 p.10、p.48~49、p.323~325
- 4 読売新聞・サンケイ新聞・中日新聞(滋賀版) マイクロフィルム版 昭和50年1月('75.1)-平成元年12月('89) 平成元年9月15日朝刊・滋賀版
- 5 開拓のあゆみ 滋賀県∥編 滋賀県 1973年 S-6100- 73 p.502
- 6 琵琶湖干拓史 琵琶湖干拓史編さん委員会∥編 琵琶湖干拓史編纂事務局 1970年 S-6180- 70 p.48
- キーワード
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- 彦根
- 松原内湖
- 松原村
- 干拓
- 彦根港
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000245103