レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2018年12月20日
- 登録日時
- 2019/01/04 12:26
- 更新日時
- 2023/09/11 13:50
- 管理番号
- 青梅1812-003*
- 質問
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解決
横川貞八と横川好々は同一人物ですか。また、横川貞八はどのような人物ですか
- 回答
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横川貞八と横川好々は同一人物である。
1827(文政10)年生まれ。
1874(明治7)年~1891(明治24)年まで青梅郵便局で勤務していた。
俳人としては横川好々、好々居臼左と号している。多摩地方の俳諧の重鎮であった。市内の金剛寺に句碑がある。
1899(明治32)年没。
横川貞八についての記載がある資料は以下になる。
【1】『青梅市史』 下巻
(p314~p315横川貞八と青梅郵便局の関わりについて記載あり。明治5年に青梅359番地の自宅を青梅郵便局として提供、明治7年には二代目局長に就任し明治24年まで勤めたとある)
【2】『皇国地誌・西多摩郡村誌 上』
(p22~p23稲荷神社の説明文の中に横川貞八の氏名あり、ただし人物についての詳しい説明はなし)
【3】『福生新聞』 昭和28年1月1日付
(p7左上「西多摩郡の芭蕉塚」の記事に横川貞八の氏名があるが詳しい説明はなし)
【4】『多摩地域史研究会会報』123号(当館所蔵なし)
(「史料紹介 青梅郵便局と横川貞八」という記事がある)
横川好々については以下の資料に説明がある。
【5】『青梅市史』 上巻
(p1074 名は好(よしみ)、号は好々居臼左。青梅市上町生まれで多摩地方の俳諧宗匠として重きをなした旨が書かれている)
※2023年7月30日追記
回答後、さらに複数の参考資料が見つかった。これらは備考欄に記入している。
- 回答プロセス
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1.館内検索システムで「横川貞八」や「横川好々」、「久平稲荷神社」と検索してもヒットしない。
そのためブラウジングをして地域資料、人物事典等を確認した。
『青梅市史』下巻(【1】)に「横川貞八」が青梅郵便局に勤めていたという記述があり、また『青梅市史』上巻(【5】)には俳人「横川好々」についての記述があるが二人の関係については書かれていない。
『皇国地誌・西多摩郡村誌』(【2】)の稲荷神社(久平稲荷神社を示す)の項に「横川貞八」の名前の記載あり。
2.朝日・毎日・読売各新聞の有料データベースで検索。検索キーワードは「横川貞八」「横川好々」「好々居臼左」。
読売新聞の有料データベース「ヨミダス歴史館」にて「横川貞八」のキーワードで検索すると、1886(明治19)年10月8日朝刊の医薬品の広告(医薬品「つけきらず」「雲雀散」)に「西多摩郡青梅町 横川貞八謹製」とあった。
3.インターネット(Google)で検索。
(1)キーワード「横川貞八」
・福生新聞(昭和28年1月1日付)(【3】)の芭蕉塚の記事に名前が出てくる。(https://www.lib.fussa.tokyo.jp/digital/digital_data/newspaper/pdf/09/S28/012.pdf)
記事によれば青梅町(当時)金剛寺境内にある芭蕉塚に「横川貞八」の名前があると書いてあるが人物についての説明はない。
(福生新聞:福生市で発行されていた地域新聞。西多摩地域のことを扱っていた)
・『地方史情報132』「地方史研究雑誌目次速報」のp20『多摩地域史研究会会報』123号(【4】)に「史料紹介 青梅郵便局と横川貞八」という記事があった。(http://www.iwata-shoin.co.jp/local/local-info_132.pdf)
東京都立図書館統合検索にて借りられる自治体がないか検索したところなかったため、発行元に問い合わせて内容を確認したが「横川好々」との関係は不明。
(2)キーワード「横川好々」
・「コトバンク」に「横川好」の項目があり「俳人」「号は好々居臼左」という説明はあるが「横川貞八」との関係は触れられていない。(https://kotobank.jp/word/%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E5%A5%BD-1119231)
4.1~3から「横川貞八」が青梅の郵便の黎明期に活躍した人物であること、「横川貞八」は薬を扱っている様子があること、「横川好々」は「好々居臼左」という号を持つ俳人であることなどはわかったが、「横川貞八」と「横川好々」との関係を直接説明している資料は見当たらない。
そのため青梅市郷土博物館に問い合わせたところ、同一人物ということがわかった。
- 事前調査事項
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横川貞八については「久平稲荷神社」にて知った旨をうかがった。
そのため調査の際の一つの手掛かりにした。
- NDC
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- 関東地方 (213 10版)
- 郵便.郵政事業 (693 10版)
- 詩歌 (911 10版)
- 参考資料
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- 【1】青梅市史編さん委員会/編集. 『青梅市史 下巻 増補改訂』. 青梅市, 1995. p. 314 (当館請求記号 L213.6/00, 当館資料番号 0100637263)
- 【2】青梅市郷土博物館/編. 『皇国地誌・西多摩郡村誌 上』. 青梅 青梅市教育委員会, 2010. p. 22 (当館請求記号 L291.3/00, 当館資料番号 0102714193)
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【3】福生新聞. p. 7左上
http://www.lib.fussa.tokyo.jp/digital/digital_data/newspaper/pdf/09/S28/012.pdf -
【4】地方史情報 132. p. 20
http://www.iwata-shoin.co.jp/local/local-info_132.pdf - 【5】青梅市史編さん委員会/編集. 『青梅市史 上巻 増補改訂』. 青梅市, 1995. p. 1074 (当館請求記号 L213.6/00, 当館資料番号 0100637230)
- 【6】青梅市史編纂会/編集. 『稿本青梅市史 第3集』. 青梅市教育委員会, 1957.p.25 (当館請求記号 L213.6/00, 当館資料番号 2900946555 ※館内閲覧資料)
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【7】『多摩の郵便の歴史 : 近辻喜一コレクション「多摩の郵便印」』. 無料世界切手カタログ・スタンペディア, 2020.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I111463286-00 , ISBN 9784908677205 (当館未所蔵) - 【8】昭島市史編さん委員会/編集. 『昭島市史 〔本編〕』. 昭島市, 1978. p. 1079,1158,1284 (当館請求記号 L213.6/41, 当館資料番号 0100598044)
- 【9】飯能市史編纂委員会/編. 『飯能市史 通史編』. 飯能市, 1988. p. 695 (当館請求記号 L213.4/86, 当館資料番号 0102714508)
- 【10】秋川市史編纂委員会/編集. 『秋川市史』. 1983. p. 971 (当館請求記号 L213.6/21, 当館資料番号 0100597756)
- 【11】倉間 勝義/編. 『多摩の人物史』. 武蔵野郷土史刊行会, 1977. p. 245 (当館請求記号 L281.3/59, 当館資料番号 0100615277)
- キーワード
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- 青梅郵便局
- 俳句
- 寄与者
- 備考
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2021年7月31日追記
以下の資料にも記述があった。
『稿本青梅市史 第3集』(L213.6/00)※館内閲覧資料(【6】)
p25下段 「横川好々」の項目に「通称は貞八郎、名は好、好々居臼左と号した」とある。
2023年7月30日追記
●改めてインターネット(Google)で検索したところ、以下の2つのことがわかった。
(1)「横川貞八」のキーワードで検索すると、『多摩地域史研究会会報』123号所収の「史料紹介 青梅郵便局と横川貞八」の記事(【4】)が2020年に出版された以下の資料に再掲されていた。
『多摩の郵便の歴史』近辻喜一著 ※当館未所蔵 https://iss.ndl.go.jp/books/R100000001-I111463286-00(【7】)
東京都立中央図書館から借り受けて確認したところ、p84に近辻喜一著「史料紹介 青梅郵便局と横川貞八」の文章が載っていた。これが『多摩地域史研究会会報』123号所収の同名記事を再掲したもの。
以下、横川貞八に関する記述箇所を引用する。
・(横川貞八本人について説明されている部分)
「全国郵便の開始にあわせ、青梅上町359番地(横川貞八宅)に青梅郵便取扱所が開設された。青梅街道と横川横丁(今の小曽木街道)の角、現在の津田商店のところです。初代郵便取扱役は丸山安兵衛で、明治7年4月には横川貞八が二代目取扱役に就任する。横川局長は明治24年まで勤務され、創業期の青梅の郵便を支えた恩人といえます」
・(横川貞八が送った封筒について解説した部分)
「上下の封じ目に押された『第十三大区郵便』と『武蔵之西・玉川之北・青梅』の朱印は不統一印で、特に後者は局の位置を文学的に表現した印として全国的に有名です。まさに、文人局長の面目躍如たるものがあります」
(2)「横川好々」のキーワードで検索すると昭島市のデジタルアーカイブにある『昭島市史』もヒット。(https://adeac.jp/akishima-arch/top/understand/132071510040003035.html)こちらは2020年4月1日から公開されていた。
当館で所蔵している『昭島市史』で確認した。
『昭島市史 〔本編〕』(L213.6/41)(【8】)
p1079「拝島村の剣客(中略)大沢勝右衛門は(中略)俳号を持っており、青梅の好々居旧左(横川氏)という在村的な宗匠の門人録に名を残している」(「旧左」は原文ママ)
p1158「昭島市域の在村俳人の名が、他地域の俳書類に多くあらわれるもう一つのばあいとして、青梅の宗匠、好々居臼左(横川氏。青梅宿の薬種商)との関係があった」
p1284「拝島村大澤勝右衛門ならば(中略)という俳号で史料にあらわれてくる。青梅の横川氏好々居臼左の『正風蕉門人名録』にも名を連ねている」
以上の記述があり、俳人好々居臼左は薬種商でもあったことがわかった。
●国立国会図書館デジタルコレクション(https://dl.ndl.go.jp/)で以下のキーワードを用いて検索したところ複数の資料に行き着いた。
(ア)「横川貞八」
(イ)「横川好々」
(ウ)「好々居臼左」
(ア)「横川貞八」のキーワードで『飯能市史 通史編』がヒット。(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9644209 送信サービスで閲覧可能)
所蔵している資料で確認した。
『飯能市史 通史編』(L213.4/86)(【9】)
p695 飯能俳壇に関する記述の中で「青梅在住の好々居臼左(横川貞八)が、(中略)有力俳人であり」と書かれていた。
(イ)「横川好々」のキーワードで『秋川市史 本編』がヒット。(https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/9642988 送信サービスで閲覧可能)
所蔵している『秋川市史』で確認した。
『秋川市史』(L213.6/21)(【10】)
p971 文字で奉納された絵馬に関する記述の中で「文字の筆者は(中略)その特色ある筆勢から青梅市域の青梅上町の人、貞斉横川好々(貞八郎)であろう」「横川好々は、明治初年代、青梅の副戸長並びに西多摩郡の郡書記もつとめた名望家であるが、俳号は好々居●(くちへんに臼)左と称した明治期の多摩俳壇の一方の雄であって、独特の癖のある筆跡もまた珍重された人物(一八二七~一八九九)である」と説明されている。
(ウ)「好々居臼左」のキーワードで見つかった『武蔵野叢誌 下 (府中市郷土資料集 ; 2)』の該当ページを確認すると(https://dl.ndl.go.jp/pid/9641528/1/208 送信サービスで閲覧可能)p406~407で好々居臼左について説明があり、参考文献として『多摩の人物史』が挙げられている。
所蔵している『多摩の人物史』で確認した。
『多摩の人物史』(L281.3/59)(【11】)
p245 横川好々(よこかわこうこう)の項目に「青梅上町の人。名は好、通称貞八郎。(中略)のちに青梅郵便局長。かたわら(中略)俳諧を学び、一家をなし、号して好々居臼左という」とあった。
(リンク先最終確認日:2023年8月5日)
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000249615