次の文献、情報を紹介しました。
1 事件の概要について
・『明治時代史大辞典 第1巻(あ~こ)』宮地正人,佐藤能丸,櫻井良樹編 吉川弘文館 2011
p.322~323に「大隈重信暗殺未遂事件」が立項されており、「明治二十二年(一八八九)十月十八日、大隈重信が国権論者来島恒喜に襲われて負傷した事件。」「大隈の傷は重く、官邸内で直ちに手術が施されたが、右足膝上より切断を余儀なくされた。」との記述がありました。また、p.809に「来島恒喜」の項があり、その来歴が記載されていました。
・『新聞集成明治編年史 第7巻』中山泰昌編著 財政経済学会 1935
p.326に明治22年10月19日の東京日日新聞に掲載された新聞記事「大隈外務大臣に爆弾を投擲」がありました。
2 大隈重信の義足について
使用したうちの一本が現在、佐賀県の大隈重信記念館に収蔵されているようです。
大隈重信記念館の「収蔵物紹介」のページに写真があり、「明治22年(1889)10月、当時外務大臣を務めていた大隈は、外相官邸前で暴漢に襲われ、右脚を切断するという重症を負った。その後使用することとなった義足のうちの1本。当時最高といわれたアメリカ A.A.マークス社製の義足だが、日本の座る生活様式にはあまり合わず、ひざ関節が破損しやすかった。」と記載されています。
https://www.okuma-museum.jp/institution/exhibits/・坪井良子著「大隈重信の義足―その原因と生活―」『日本医史学雑誌』日本医史学会
39(1)(1469) 1993 p.100~102
こちらに「A.A.マークス社から義足が送られてきた。しかも毎年改良に改良を加えて送ってきたという。」等の記載があります。
こちらの資料は国立国会図書館デジタルコレクションで全文公開されています。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3359338/543 来島恒喜について
・『来島恒喜』重遠社編集部編 重遠社・出版部 1980
・『玄洋社社史』玄洋社社史編纂会編 明治文献 1966
p.349~359に「第二十二 来島の決心」という項がありました。
・『玄洋社発掘 増補版』石滝豊美著 西日本新聞社 1997
p.248~253「高場乱門下生の群像」の中に来島に関する記述がありました。
・『玄洋社・封印された実像』石瀧豊美著 海鳥社 2010
p.38に「来島恒喜が大隈重信外相に爆弾を投じたことを是認するかどうかは別として、来島の行為は大隈の推進する不平等条約改正案を葬り去ることに目的があった。」との記載がありました。
・『来島恒喜』岡保三郎編 岡保三郎 1913
国立国会図書館デジタルコレクションで全文公開されており、図書館向けデジタル化資料送信サービスにより国立国会図書館の承認を受けた図書館内の指定のパソコン端末で資料を閲覧することが可能です。