レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/8/1
- 登録日時
- 2014/01/23 00:30
- 更新日時
- 2014/01/23 00:30
- 管理番号
- 滋2013-0067
- 質問
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解決
幕末・明治期の儒学者川田剛(甕江)が安政年間に近江の大溝藩に招聘されていた。川田剛招聘の経緯と同藩での活動を知りたい。
- 回答
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『高島町史』によりますと「光貞は幼少のころから文武の道を極め、大溝藩に入って後は江戸への参勤交代に出仕するたびに、当時江戸の儒者であった佐藤一斉・河田屏浦(へいほ)・川田甕江(おうこう)などを招いて四書五経の講義を聴き、藩士にも受講させたという『同前』。後には、川田甕江を藩校脩身堂(しゅうしんどう)の客員教授に招き、藩士の指導にあたらせるかたわら、『藤樹先生年譜』『徳本堂記』等を撰述させたのである。」とあります。文中の「光貞」とは藩主の分部光貞で、『同前』とは『集成分部家系譜』のことです。また、『中江藤樹伝及び道統』によりますと、「川田剛、「徳本堂記」を作る。(中略)川田剛、徳本堂を訪い、排律を賦して以て感を述ぶ、中に「低回徒に自ら愧ず」という。」とあるほか。『近江聖人中江藤樹』、『物語中江藤樹』にも同様の記載があります。さらに、『高島郡誌 全』によりますと、「安政五年川田剛、光貞の命を受けて修身堂規則を制定たりしが、實施するに至らざりき。」とあります。なお、高島郡高島町は現在高島市になっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本思想 (121 8版)
- 参考資料
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- 1 高島町史 高島町役場∥編 高島町役場 1983年 S-2116- 83 p.663
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2 集成分部家系譜 笠井劼∥編 分部神社[ほか] 1970年 5-2816- 70 p.73 -
3 中江藤樹伝及び道統 後藤三郎∥著 理想社 1970年 S-1215- 70 p.253 -
4 近江聖人中江藤樹 大久保龍∥著 啓文社 1937年 S-1215- 37 p.242-245 -
5 物語中江藤樹 松下亀太郎∥著 日本藤樹学会 1981年 S-1215- 81 p.379,395 -
6 高島郡誌 全 高島郡教育会∥編著 饗庭昌威∥増補編 饗庭昌威 1972年 S-2110- 72 p.836
- キーワード
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- 川田剛
- 川田甕江
- 大溝藩
- 分部光貞
- 修身堂
- 藩校
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000143837