レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2019/09/06
- 登録日時
- 2019/09/13 00:30
- 更新日時
- 2019/09/13 00:30
- 管理番号
- 滋2019-0003
- 質問
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解決
植村遊子著『伝えていこう子守歌 詩と音楽からの私的考察』(平成24年刊)のp.145に滋賀県のわらべ歌で、
「九州肥前の鍋島さまは/人に知られた“こつま”でござる」の子守歌が紹介されています。
この「こつま」の意味を知りたい。
植村遊子は佐賀の人で、『伝えていこう子守歌』は私家本です。
- 回答
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この歌は、滋賀県の野路村(現在の滋賀県草津市野路町)の子守歌です。
『滋賀のわらべ歌』の子守歌の項には、次の歌詞が載っています。
「うちのこの子は 何といったら寝やる、九州肥前の 鍋島さまは、人に知られた“こつま”でござる、それが何より
証拠には、ご家来衆には 甘藷(いも)の粥、わしらが村の“助郷”の賃も、三年になるのにまだくれぬ。」
同子守歌は、『野路のくらしと歩み』にも書かれていますが、
「何といったら寝やる、」が「何といったら寝やる、何というたら寝やる」
「まだくれぬ」が「まだくれぬ(ん)まだくれん」と、2箇所歌詞が異なります。
「こつま」の意味は、『野路町史』によると、「これは鍋島藩のドケチぶりを唄っているのであるが、
助郷の役(大名高官など、官道宿役道中人足・馬を村の石高に応じて出す制度で、
野路は一〇五八石で馬五疋・人足六人)の人馬賃の支払いを踏み倒されたため怒りを込めて
村人が唄ったものと思われる。封建の圧政がしのばれる。尚「こつま」はケチることの方言である。」
とのことです。
草津は東海道・中仙道の宿場として栄えた町です。
多くの西国大名が参勤交代の際に草津宿に宿泊しました。
野路などの草津近隣の村には人馬の提供が義務付けられ、これを助郷と言いました。
『野路町史』には、「助郷は村にとって最大の負担であった。」
「助郷は大名の参勤交代時期が農繁期と重なる場合が多く、農作業を妨げた。」
「また、出役しても支払いを遅らす大名も少なくなかった」と説明されています。
なお、『滋賀県方言語彙・用例辞典』では、「こつま」の意味は「だまし売りする商人」とされています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 声楽 (767 8版)
- 参考資料
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- 1 滋賀のわらべ歌 右田伊佐雄∥著 柳原書店 1986年 S-3800- 86 p.200-201
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2 野路のくらしと歩み 野路のくらしと編さん委員会∥編 野路町 1986年 S2121 p.290 -
3 野路町史 野路町∥編 野路町 1978年 5-2121- 78 p.39-48(助郷の説明)、p.183(子守歌) -
4 滋賀県方言語彙・用例辞典 増井金典∥編著 サンライズ出版 2000年 S-8000- 00 p.109
- キーワード
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- わらべ歌
- 滋賀
- 野路
- うちのこの子は
- 九州肥前の鍋島さま
- こつま
- 植村遊子
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000261329