レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2006年12月01日
- 登録日時
- 2006/12/14 11:42
- 更新日時
- 2018/04/22 14:49
- 管理番号
- edo2006-12
- 質問
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解決
皇居にある二重橋は元々違う名前で呼ばれていた?
- 回答
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【資料1】『千代田区史跡散歩』によれば「西丸大手下乗橋」といい「俗にめがね橋とも言った」ということです。
- 回答プロセス
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いわゆる「二重橋」は俗称であり、正式名称は手前の石橋が「正門石橋」、奥の鉄橋が「正門鉄橋」です。「二重橋」という名称については、石橋が二重アーチの橋桁を持つことからと言う説、石橋と鉄橋が外から見ると二重に見えるところから、両橋をあわせて二重橋と称されたという説が有名です。しかし実際は、現在鉄橋(昭和39(1964)年に架替)になっている奥の橋が昔は二重だったことに由来します。建設上の理由(水面から西の丸までの高さは20メートルもあり、橋脚を立てるのは不可能であったため、まず中段に橋桁をわたし、それを土台にして橋脚を立てた)から二重構造であったことから、二重橋と呼ばれるようになったのです。(【資料2】『江戸城の秘密 歩いてわかる!』、【資料3】『皇城』)。掛け替えられる前の橋の姿は【資料4】『写真でみる幕末・明治』で見ることができます。
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (291 9版)
- 橋梁工学 (515 9版)
- 参考資料
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- 【資料1】『千代田区史跡散歩』(岡部喜丸著 学生社 2002年 請求記号:2913 / 659 / 1 p.71)
- 【資料2】『江戸城の秘密 歩いてわかる!』(原史彦/監修 洋泉社 2015年 請求記号:5218 / 251 / 0015 p.88)
- 【資料3】『皇城』(中島卯三郎編著 雄山閣 1959年 請求記号:2884 / 3 / 59)
- 【資料4】『写真でみる幕末・明治』(小沢健志監修 世界文化社 1990年 請求記号:2105 / 10 / 90 p.37)
- 【資料5】『江戸城』(西和夫著 中央公論美術出版 1982年 請求記号:5218 / 57 / 82 )
- 【資料6】『 東京公園文庫 9 皇居外苑』(前島康彦著 東京都公園協会監修 郷学舎 1981年 請求記号:6290 / 1 / 9)
- 【資料7】『歩く知る江戸城と大名屋敷 歴史REALブックス』歴史REAL編集部/編 洋泉社 2016年 請求記号:5218 / 256 / 0016 p.32~33
- キーワード
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- 二重橋
- 皇居
- 江戸城
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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(関連サイト)
宮内庁 http://www.kunaicho.go.jp/ (2010/10/24確認)
日比谷図書文化館 https://www.library.chiyoda.tokyo.jp/hibiya/ (2018/4/22確認)
環境省 https://www.env.go.jp/garden/kokyogaien/1_intro/his_04.html (2016/10/16確認)
「東京名称のうち二重橋之図」尾形月耕画(江戸東京博物館収蔵検索) http://digitalmuseum.rekibun.or.jp/edohaku/app/collection/detail?id=0187102291&w=%93%F1%8F%64%8B%B4
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000032308