レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/04/21
- 登録日時
- 2011/10/28 02:17
- 更新日時
- 2011/12/16 02:04
- 管理番号
- 滋2011-0167
- 質問
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解決
かつて近江国に穴太衆と呼ばれる人々がいたそうてすが、どのような人たちだったのでしょうか。
- 回答
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現在の大津市穴太付近に住んでいた石工集団です。延暦寺の堂塔伽藍や坂本の里坊の石垣を築き、のちには安土城、彦根城、金沢城の石垣普請も行いました。穴太衆の石垣作りの特徴は、大小の自然石を加工せずに用いて、石垣の奥でがっちりと組む堅固なもので、穴太積み、穴太築きとも呼ばれています。なお、穴太衆が築いた坂本の里坊の石垣の一部は大津市指定の文化財となっています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本の建築 (521 8版)
- 参考資料
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- 1 図説大津の歴史 上巻 大津市歴史博物館市史編さん室∥編集 大津市 1999年 SB-2111-1
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2 滋賀県百科事典 滋賀県百科事典刊行会∥編 大和書房 1984年 L-0300- 84 -
3 穴太の石積 平野隆彰∥著 あうん社 2007年 S-5200- 07 -
4 石垣普請 北垣聰一郎∥著 法政大学出版局 1995年 S-5211- 95 -
5 石積み擁壁(穴太衆積み)の道路構造物への適用に関する研究 日本道路公団関西支社大津工事事務所∥編集 大成・五洋・フジタ共同企業体∥編集 日本道路公団関西支社大津工事事務所 2004年 SB-5100- 04 -
6 新修大津市史 第3巻 近世前期 林屋辰三郎∥[ほか]編 大津市役所 1980年 S-2111-3
- キーワード
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- 穴太衆
- 穴太積み
- 大津市指定文化財
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000095963