レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2011/02/25
- 登録日時
- 2011/10/18 02:02
- 更新日時
- 2011/10/18 02:02
- 管理番号
- 滋2010-0106
- 質問
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解決
湖南市の下田焼の歴史について知りたい。
- 回答
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下田焼は、村人の喜多安兵衛が宝暦年間(1751~1764)に、鏡山(現、竜王町)で発見した質の高い白い土を灯明具や油差しなどの日用品を製造したのが始まりだといわれています。最盛期の幕末から明治前期には共用登窯が3基あり、窯元が10数戸あったといわれています。その後近隣の信楽で生産される安価な製品に押されて衰微し、やがて窯元は1軒となりました。1989年(平成元)に最後に残った陶工山中保蔵さんが死亡すると廃絶することになりました。しかし、現在山中さんの弟子の小迫一さんが再興して、作陶を続けています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 陶磁工芸 (751 8版)
- 参考資料
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- 1 近江やきものがたり 滋賀県立陶芸の森∥編集 京都新聞出版センター 2007年 S-7500- 07
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2 近江のやきもの 滋賀県立琵琶湖文化館∥編集 サンブライト 1981年 S-7500- 81 -
3 やきものめぐり 西日本 金子賢治∥監修 JTB 2004年 S-7500- 04 -
4 甲賀郡志 下巻 甲賀郡教育會∥編 甲賀郡教育會 1926年 5-2130-2
- キーワード
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- 下田焼
- 焼物
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000092576