レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2015/06/27
- 登録日時
- 2015/10/09 00:30
- 更新日時
- 2015/10/09 00:30
- 管理番号
- 滋2015-0019
- 質問
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解決
『近江名所図会』を書いた秦石田という人の読み、生没年月日、肩書きがを知りたい。
- 回答
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秦石田の読みについて、人名辞典では確認できませんでした。
当館では書誌作成にあたり(シン、セキデン)と音読みを採用しています。
国立国会図書館の書誌について、同館が提供する典拠データ検索・提供サービスを検索したところ、著者標目 村上,石田(ムラカミ、セキデン)、別名 秦,石田(ハタ,セキデン)とされています。一方、国立情報学研究所の書誌では、著者標目 秦石田(シン、セキデン) 別名 村上,石田(ムラカミ、セキデン) 秦,石田(ハタ,セキデン)とされています。
『日本名所風俗図会 11 近畿の巻 1』によると、「共編者として名をつらねる秦石田についてはよくわからない。今日知られるところは、『日本名所風俗図会 13 中国の巻 Ⅲ』の解説に長谷章久氏が記された範囲にとどまる。」とあります。
『日本名所風俗図会 13 中国の巻 Ⅲ』によると、「編者の村上(秦)石田については、住所・閲歴ともにさだかでない。勉亭主人こと正三位富小路貞直卿の序(享和三年九月二十五日付)によれば、「このごろむらかみ何がし『播磨名所巡覧図会』といふ書をあらはして云々」とあるから、本姓は「村上」なのであろうが、巻末に掲げられた中江藍江の漢文の跋のようになぜ「秦」と通称していたのか、その理由も明らかでない。ここでは一応播磨生れか、播磨に深い関係をもつ人物と考えてみたが、なお今後も追及する所存である。」と記載されています。
また、『兵庫県大百科事典 下巻』の播州名所巡覧図絵の項には、「『播磨名所巡覧図会』ともいう。編者は序文に<むらかみ何がし>、跋文に秦石田(はたのせきでん,とよむか)の名をあげる。同一人物と考えられるが伝未詳。」とあります。
あらためて、村上石田で『国書人名辞典 第4巻』を確認したところ、「篆刻家〔生没〕生没年未詳。江戸時代後期の人。〔名号〕秦氏とも。名、駘・豊章。字、白鞭(自鞭とも)・次翁。通称、九兵衛。号、石田・徴古堂。 〔経歴〕大阪油町三丁目に住した。」と記述されています。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 日本 (281 8版)
- 参考資料
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- 1 国書人名辞典 第4巻 は-わ 市古貞次∥[ほか]編 岩波書店 1998年 R-2810-4 p.536
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2 日本近世人名辞典 竹内誠∥編 深井雅海∥編 吉川弘文館 2005年 R-2810-タ -
3 新潮日本人名辞典 尾崎秀樹∥[ほか]編集 新潮社 1991年 R-2810-オ -
4 日本名所風俗図会 11 角川書店 1981年 5B-2908- 81 p.531 -
5 日本名所風俗図会 13 中国の巻 角川書店 1980年 2B-2910-13 p.598 -
6 兵庫県大百科事典 下巻 た-わ 神戸新聞出版センター∥編集・制作 神戸新聞出版センター 1983年 RB-2916-ヒ p.608 -
1 国書総目録 著者別索引 岩波書店 1991年 L-0251-9
- キーワード
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- 秦石田
- 近江名所図会
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000182248