レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2020年10月04日
- 登録日時
- 2021/02/09 09:43
- 更新日時
- 2021/04/30 10:23
- 管理番号
- 京歴-567
- 質問
-
解決
明治24(1891)年5月11日に起きた大津事件(ロシア皇太子ニコライが警備中の巡査津田三蔵に斬りつけられた)の際に、皇太子の治療に従事した京都の医師は誰か。
- 回答
-
『京都日出新聞』の明治24年5月12日の記事(①)に「取敢へず滋賀県庁へ連れ参らせ御手当申し上げたるよし京都よりも猪子病院長早速駆け付けたり」とある。
『京都の医学史』(②)のp.867に、猪子止戈之助(いのこしかのすけ)が大津事件の際に駆け付けたことが書かれていた。
②により、猪子止戈之助が京都府医学校の校長と京都府立療病院の院長であったことが分かったため、『京都府立医科大学百年史 : 1872-1972』(③)を確認したところ、p.67にも大津事件の際に、応急手当のために滋賀県庁に赴いたことが書かれていた。
『大津事件 : 企画展』(④)p.25に掲載されている『大阪朝日新聞第3674号附録』には、「御快癒まで当分京都に御滞在あらせらるる事に御内定ありたる由もっとも取敢えず医師半井澄氏を召されたりと」と書かれている。
(実際は、翌日には皇太子は神戸へ移っている。)
半井澄(なからいさやか)については、『京都の医学史』(②)pp.842-843に略歴が記載されているが、大津事件に関する記述はなかった。なお、半井澄も初代療病院長を務め、京都府医学校長も歴任した人物である。
- 回答プロセス
-
当館の蔵書検索システムでキーワード「大津事件」を検索したところ、『大津事件 : 企画展』(④)p.25に、事件を報じる新聞として『日出新聞』(明治24年5月12日付)(①)と『大阪朝日新聞附録』(第3674号)が掲載されており、京都の医師としては「猪子病院長」と「半井澄」が載っていた。
『京都の医学史』(②)で「猪子病院長」と「半井澄」とを調べるが、半井澄の方には大津事件についての記述はなかった。
②により、両名とも京都府医学校長の校長を務めていたことが分かったため、『京都府立医科大学百年史 : 1872-1972』(③)を確認した。
- 事前調査事項
- NDC
-
- 日本史 (210)
- 参考資料
-
- ①『京都日出新聞』マイクロフィルム版 (当館請求記号:マ||ヒノテ||K)
- ②『京都の医学史』京都府医師会編 京都府医師会 1980 (当館請求記号:K0||490.216||Ky6||)
- ③『京都府立医科大学百年史 : 1872-1972』京都府立医科大学百年史編集委員会編 京都府立医科大学 1974 (当館請求記号:K11||377.28||KY6||)
- ④『大津事件 : 企画展』大津市歴史博物館編 大津市歴史博物館 2003 (当館請求記号:||210.64||O89||)
- キーワード
-
- 大津事件
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土 人物
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000293627