まず、なぜ、鹿島は“発酵文化”があると言われているかについて。
・鹿島商工会議所発行のパンフレット『発酵文化の香る街 鹿島』の中に「鹿島の発酵食品の歴史」と題して
「多良岳山系に源を発する良質の地下水と豊富な米を使って、昔から鹿島のいろいろな地区で日本酒が造られ、今日まで特産品として愛されてきました。家庭ではこうじ菌を利用して「手前味噌」と呼ばれる保存性の良い自家製味噌や醤油・有明海の海産物や豊かな農産物から漬物を造り、その味は代々家庭の味として受け継がれてきました。このように鹿島の伝統食品に見られる発酵の歴史を、今日発酵食品業者有志で立ち上げた鹿島発酵研究会が意思を引き継ぎ、発酵食品の商品開発やPR事業に取り組んでいます。」
と記載がある。
・『佐賀酒ものがたり』平尾茂・著 西日本新聞社 平成26年 p65
・・・「2012年から始まった酒蔵めぐり「鹿島酒蔵ツーリズム」・・・もともと矢野酒造は鹿島の中心街の活性化策として、酒のほか、ヨーグルトやみそ、パンなど発酵に関わる地元企業と「鹿島発酵研究会」を組織、地場産品をPRする「かしま発酵まつり」を開催してきました・・・」との記載あり。
⇒鹿島市は、数年前から街づくり・街おこしの一環として“発酵文化の香る街”というコンセプトを作った。(生涯学習課・江島さんに確認したところ、平成19年前後とのこと。)
鹿島に関する資料の中から見つけた発酵食品
漬物
・『鹿島史料集 上巻』峰松正輝・著 平成22年 p736
・・・鹿島四代藩主である鍋島直條が貞享2年(1685年)に編纂した史料である『鹿島志』の訳あり。当時の鹿島における米以外の特産物が分かる。
その特産物の中に、鰷魚(はや)の塩漬けが挙げられている。
・『鹿島市史 中巻』鹿島市発行 昭和49年 p292
・・・江戸時代の鹿島の漁村の食事として、漬物・味噌汁・あみ漬・梅干・味噌漬・醤油の実・塩鯨が挙げられている。
食塩以外の味噌・醤油はほとんど自家製のものを使用した、とある。
・『ふるさと鹿島 おとしよりからきいた話』鹿島市発行 昭和57年 p58
・・・漬け物はほとんどが自家製、とあり。
酒
・『鹿島史料集 上巻』峰松正輝・著 p736
・・・鹿島四代藩主である鍋島直條が貞享2年(1685年)に編纂した史料である『鹿島志』の訳あり。当時の鹿島における米以外の特産物が分かる。
その特産物の中に、酒が挙げられている。
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味噌
・『わたしの鹿島 50年むかしこぼればなし』東島万寿雄・著 昭和57年 p152~159
・・・鹿島では昔は味噌も醤油もほとんどが家で作ったものを使っていたとあり。「種こうじ」は新町の山口こうじ屋に買いに行っていた、とある。
・『鹿島市史 中巻』鹿島市発行 昭和49年 p292
・・・江戸時代の食事として、食塩以外の味噌・醤油はほとんど自家製のものを使用した、とある。
・『ふるさと鹿島 おとしよりからきいた話』鹿島市発行 昭和57年 p58
・・・味噌は農家のすべてが自家製でおよそ1年分を各農家ごと、あるいは共同でつくった、とあり。