レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/10/25
- 登録日時
- 2015/12/02 00:30
- 更新日時
- 2024/03/30 00:36
- 管理番号
- M15010614170182
- 質問
-
津山城にあった「夜鳴きの鐘」について知りたい。
- 回答
-
(1)『津山城百聞録 津山市制八〇周年記念出版』(資料①)には、「夜鳴きの鐘」の由来について、『作陽誌』の記録と言い伝えを大略し、次のように記載している。
「この鐘は慶長12年(1607)、清水寺(真庭市落合町関)境内の土中から掘り出されたものである。これを知った初代津山藩主森忠政は津山城築城途中でもあったため、この鐘を召し上げて津山城に持ち帰り、城内の時報の鐘として使用していた。(中略)寛永12年(1635)、家老の関成次が寝ていると、夢枕に白髪の老人が立って、鐘をもとのお寺に返してほしいと頼んだという。(中略)城主は家臣六人に命じて、小田中、二宮、院庄、坪井、上河内、下河内、垂水村の農民の手を経由して、この鐘を清水寺に返した」
清水寺の言い伝えも記載されているが、上記と同様である。
この鐘は「全体の高さ87.6センチメートル、竜頭高16.3センチメートル、下端での外径は52センチメートル」とあり、「現在にまで大切に同寺に保管されている」という。
鐘の写真も掲載されている。
(2)(1)を受け、『新訂訳文作陽誌 上巻』(資料②)を確認すると、(1)の内容は「福聚山清水寺」の項目に記載がある。
(3)『落合町史 地区誌編』(資料③)の第5章第16節「神社」に「福聚山普門院 清水寺」の項目があり、「梵鐘」の箇所に「夜鳴きの鐘 鐘名“美作国関郷 大願”」と記載がある。また、同章第23節「伝説」に「清水寺の夜鳴きの鐘」の項目あり、その由来について(1)と同様の記載がある。また、鐘の写真も掲載されている。
(4)『岡山の梵鐘』(資料④)に「清水寺の鐘と鰐口」の項目があり、「古鐘」箇所に夜鳴きの鐘についての記載がある。ただし、ここでは「夜泣きの鐘」と表記されている。簡単な鐘の由来のほか、鐘の形態・形状について詳細な記載がある。鐘の写真も掲載されている。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 法話.説教集 (184 9版)
- 参考資料
-
-
①『津山城百聞録 津山市制施行八〇周年記念出版』津山 津山市,2009,311p. 参照はp.194-195.
②長尾勝明『新訂訳文作陽誌 上牧』岡山 日本文教出版社,1963,663p. 参照はp.586-589.
③落合町史編集委員会編『落合町史 地区誌編』落合町(真庭郡) 落合町,1999,42,948,12p. 参照はp.595-598,657.
④川端定三郎編 『岡山の梵鐘』岡山 日本文教出版,1984,173p. 参照はp.124-128.
-
①『津山城百聞録 津山市制施行八〇周年記念出版』津山 津山市,2009,311p. 参照はp.194-195.
- キーワード
-
- 夜鳴きの鐘
- 夜泣きの鐘
- 清水寺
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- M2015010614120770182
- 調査種別
- 内容種別
- 質問者区分
- 全年齢
- 登録番号
- 1000184834