レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014/02/18
- 登録日時
- 2014/08/31 00:30
- 更新日時
- 2014/08/31 00:30
- 管理番号
- 6001001736
- 質問
-
解決
「亀井新十郎宛七月廿二日羽柴秀吉書状」を掲載した『因幡志』三十七の活字本を探しています。
三鬼清一郎編『稿本豊臣秀吉文書(1)』142頁に掲載されていました。
世界聖典刊行協会本『因幡誌』には、古文書類の掲載はありませんでした。
- 回答
-
1.『稿本豊臣秀吉文書(1)』は当館では所蔵しておりませんので、所蔵館に調査をお願いしたところ、「史料・謄写本 <8行ほどの書状の抜き出し>七月二十二日羽柴秀吉 亀井新十郎殿」とあり。」という回答をいただきましたが、残念ながらその書状自体が掲載されてはいませんでした。
鳥取県立図書館に『因幡誌』原本を見てもらいました。「p.504~516にかけて羽柴秀吉と亀井新十郎についての記載があるが、書状そのものは載っていない。、書状について書かれているかもしれないが、詳細は不明。直接複写を取り寄せて、ご自身で見ていただきたい。」という回答でした。
鳥取県立図書館 〒680-0017 鳥取市尚徳町101 電話0857-26-8155
2.当館で調査した図書について
『鳥取県史 2 中世』(鳥取県/編集 鳥取県 1973)【217.2/14N/2】
p.698「羽柴秀吉書状 大坂表 御出馬ニ付」 上様被成御上洛候、」 我々事ハ、西国表」 境内之儀堅申付、」 普請等可仕候旨」 被仰出候、則」 一昨日十五出京候、」 廿日時分其地へ」 可相越候、成其意」 大カそま事、何も無油断」 可申付候、為其態申遣候、恐々謹言、藤吉郎 七月十七日 秀吉(花押)」(『東京大学史料編纂所影写本』)というのがありますが宛名は書かれていません。
p.704「羽柴秀吉掟書 1.亀井新十郎本国へ帰国間ハ、鹿野」 郡申付候間、垣屋平右衛門尉与 一備ニ被相定、」其方先手ニ備儀可在之事、」と書かれたものがあります。
p.693「史料篇解説」があり、「ここに収録したのは、中世の因幡・伯耆国に関する文献資料である。....因幡国の部1:現蔵文書と東京大学史料編纂所影写史料とを収録し、影写本史料については、史料末尾に「東京大学史料編纂所影写本」と註記した。これらの史料と密接な関係をもつ「因幡民談記」「因幡志」所収文書も適宜参考史料として収録した」とあります。
3.『寛永諸家系図伝 第13』([太田資宗/ほか編] 続群書類従完成会 1990.9)【288.2/5N/13】
p.130-138に亀井玆矩のことが書かれていますが、p.135下段に「時に玆矩、秀吉にまミゆ。仰せにいはく、汝に出雲の国をあたへんとしてすでに信長に達す、しかれども講和のとき輝元に出雲半国をあたふ、他邦にをひてこれをのぞむべし、と。玆矩こたへていはく、今度明智を誅せられば、六十余州風をのぞんで麾下に屬すべし、我日本にをひてのぞみなし、ねがはくハ琉球国を給らん。秀吉その壮勇をよミして御腰の団扇を抜いて、表に琉球守殿と書、裏に秀吉と書て 判形をくハへ直に玆矩に給りていはく、因幡は邊土なり、はやく歸りて鹿野の城をまもるべし」と書かれています。
4.インターネットが使用できる環境でしたら、国立国会図書館が明治・大正・昭和前期の資料を公開しているインターネット上の電子図書館である「近代デジタルライブラリー」の「因幡誌」で検索されますと、巻1-7が表示されますがその第5巻気多郡鹿野庄p.19あたりに亀井新十郎と秀吉のことが書かれているようです。[2014/2/18現在]
http://kindai.ndl.go.jp/search/searchResult?SID=kindai&searchWord=%E5%9B%A0%E5%B9%A1%E8%AA%8C
[事例作成日:2014年2月18日]
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
-
- 中国地方 (217 8版)
- 系譜.家史.皇室 (288 8版)
- 参考資料
-
- 鳥取県史2鳥取県∥編集鳥取県 (693,698,704)
- 寛永諸家系図伝第13[太田/資宗∥ほか編]続群書類従完成会 (130-138)
- キーワード
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 書誌事項調査
- 内容種別
- 大阪
- 質問者区分
- 個人
- 登録番号
- 1000159194