レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2014年07月29日
- 登録日時
- 2014/07/29 15:34
- 更新日時
- 2014/12/26 13:46
- 管理番号
- 名古屋市鶴-2014-026
- 質問
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解決
山本球場を建設した、山本権十郎について知りたい。
- 回答
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山本球場は、戦後、国鉄八事球場と呼ばれるようになり、平成に入ってから廃止された球場です。大正13年4月1日、第1回全国選抜中等学校野球大会が開催され、選抜大会発祥の地とされています。
この山本球場の建設に関わったのが算盤運動器具商を経営していた山本権十郎です。合名會社森岡屋や合名會社殖産會社の代表社員であり、財團法人澍世會(※)を設立、慈善事業に尽力し、大正6年に市会議員に当選しています。安政5年3月に誕生、昭和27年82歳で亡くなったとされていますが、年齢が一致せず、没年、年齢は定かではありません。御大禮紀念章を授章、大正10年に学事功労者として市の表彰を受け、昭和9年8月に紺綬褒章を授章しています。
※財団法人名に関しては、資料により、澍世會、濤世会、樹生会、八幡講などがあります。それぞれ別の財団法人であるのか、名称の変更をしているのか分かりませんでした。
- 回答プロセス
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1.郷土の棚を確認しました。
『愛知の高校野球全記録』
→p.54に、山本球場の項目があり、写真とともに記事があります。"大正6年(1917)大須の運道具店山本権十郎氏が八事丘陵地の一角を購入”とありました。
→p.77の大正13年の欄に、"<第1回選抜大会>4月1日、第1回全国選抜中等学校野球大会が名古屋八事の山本球場で開催された”とあり、開会式の写真が掲載されています。
『中京名鑑 昭和3年版』
→p.135に、"名古屋商工會議所議員”として掲載されています。安政5年3月に誕生、合名會社森岡屋や合名會社殖産會社の代表社員であること、大正元年財團法人澍世會を設立、御大禮紀念章を授章したことがわかりました。
『中京名鑑 昭和7年版』
→p.180に、"名古屋商工會議所議員”として掲載されています。『中京名鑑 昭和3年版』に加え、大正6年に市会議員に当選し、大正10年に学事功労者として市の表彰を受けたことなどがわかります。
『中京名鑑 昭和11年版』
→p.229に、"合名會社山本商店代表社員”として掲載されています。この資料では、明治四十四私財を提供し、財團法人濤世会を設立”とあります。また、昭和9年8月に紺綬褒章を授章したといった記述などがあります。
『愛知県史 資料編32 近代』
→p.505-506の"377 慈善救済事業に一万円”の項目に、名古屋新聞の大正2年9月23日の"算盤運動器具商店主山本権十郎氏”が”慈善救済事業に一万円を投ず”記事が紹介されています。"私財金一万円を寄附し、財団法人「樹生会」”を設立したことや、"初め中区に幼稚園を建てん事を企て”たことなどが記述されています。
→『名古屋新聞縮刷版 大正2年9月・10月』を確認したところ、確かに、大正2年9月23日朝刊5面に掲載されていました。
『名古屋市会史 第1巻』
→p.354-358に、大正6年に執行された第10期市会議員選挙の当選者が掲載されており、p.357に第一選挙区の当選者として、山本權十郎が職業:文房具販賣業、生年月日:安政五、三、二〇と掲載されています。
2.郷土以外の資料を確認しました。
『日本全国発祥の地事典』、日外アソシエーツ、2012年
→"センバツ発祥の地”の項目に、"山本球場は名古屋で運動用具店を営んでいた山本権十郎が私費で建設した名古屋発の本格的な野球場”と紹介されています。
3.明治・大正期の人物であるため、国立国会図書館のデジタルコレクションを確認したところ、3点ヒットしました。
『名古屋百紳士』(インターネット公開資料)
→コマ番号37に、名古屋市会議員として掲載があり、人柄が記載されています。
『楊城縉紳集 昭和甲戌』(インターネット公開資料)
→コマ番号118-119に、合名会社山本商店代表社員として掲載があり、人柄や経歴などが記載されています。
『中京現代人物評伝 2』(図書館送信限定資料)
→コマ番号107-108に、合名會社森岡屋代表社員、同山本殖産會社代表社員、同山本商店代表社員として掲載があり、、人柄や経歴などが記載されています。
4.CiNiiで論文を確認したところ、3件ヒットしました。その内、2件が該当する論文でした。2件ともオープンアクセスのため、インターネットを通じて閲覧することが可能です。
「原天隨と部落改善事業」
→p.226に、名古屋財界の大御所の一人として、愛知県最初の昼間託児所「中隆幼児保育園」(幼稚園)を開設する資金の寄附を行ったことが記述されていました。
「大正12年より昭和5年の間における名古屋近郊の野球場の建設」
→p.100-104に、山本球場から国鉄八事球場を経て、売却に至る経緯などが記述されています。また、没年が昭和27年82歳であると書かれています。
5.新聞のデータベースを確認したところ、中日新聞・東京新聞記事データベースで1件ヒットしました。
「中日新聞2009年2月16日朝刊16面」
→”なごや特走隊 小枠に選抜野球発祥の記念碑 個人で建てた『山本球場』”の記事がヒットし、富豪山本権十郎が地元の名士であり、1858年生まれとされるが1952年に82歳で死去したという記録もあるとの記述がありました。
0.「大福帳 第2年第8号」p.11に、愛知商家案内として末広町2丁目から3丁目の店舗が紹介されています。その中に、二丁目東23に柳行李算盤(森岡屋東店)として山本権次郎が、二丁目西17に太物卸商(森岡屋)として山本権次郎が掲載されています。算盤、森岡屋などから、山本権十郎と関係がありそうです。
【サイト最終確認日2014/08/04】
- 事前調査事項
- NDC
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- 球技 (783)
- 参考資料
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- 『愛知の高校野球全記録』、朝日新聞名古屋本社編集制作センター/編集、愛知県高等学校野球連盟、2008年 (p.54、p.77)
- 『中京名鑑 昭和3年版』、名古屋毎日新聞社、1928年 (p.135、写真あり)
- 『中京名鑑 昭和7年版』、名古屋毎日新聞社、1932年 (p.180、写真あり)
- 『中京名鑑 昭和11年版』、名古屋毎日新聞社、1936年 (p.229、写真あり)
- 『愛知県史 資料編32 近代』、愛知県史編さん委員会/編集、愛知県、2002年 (p.505-506)
- 『名古屋新聞縮刷版 大正2年9月・10月』、双光エシックス(制作)、2011年 (大正2年9月23日朝刊5面)
- 『日本全国発祥の地事典』、日外アソシエーツ、2012年
- 『名古屋百紳士』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/913714) (コマ番号37)
- 『楊城縉紳集 昭和甲戌』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1031714) (コマ番号118-119)
- 『中京現代人物評伝 2』(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1108561) (コマ番号107-108、写真あり)
- 「原天隨と部落改善事業」、松浦国弘/著、愛知学院大学教養部紀要 44(2), 232-214, 1996年(http://ci.nii.ac.jp/els/110004646325.pdf?id=ART0007367376&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1407114992&cp=) (p.226)
- 「大正12年より昭和5年の間における名古屋近郊の野球場の建設」、滝正男/著、中京大学教養論叢 32(1), 99-127, 1991年(http://ci.nii.ac.jp/els/110004644861.pdf?id=ART0007363624&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1407114963&cp=) (p.100-104)
- 『名古屋市会史 第1巻』、名古屋市会事務局/編、名古屋市会事務局、1939年 (p.354-358)
- 「大福帳 第2年第8号」、『書抜大福帳 第5号-第9号』、山田丹心館、1902年 (p.11)
- キーワード
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- 山本権十郎
- 山本球場
- 八事球場
- 全国選抜中等学校野球大会
- 選抜大会
- 体育・スポーツ-名古屋市
- 人物-名古屋市
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000156995