レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013/09/29
- 登録日時
- 2014/01/06 00:30
- 更新日時
- 2014/01/30 13:12
- 管理番号
- 6000013181
- 質問
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解決
枚方の津田城跡に行ったときに、直径2センチくらいでところどころ赤く錆びた、黒っぽい金属の玉を拾った。学校の先生には鉄砲の弾ではないかと言われたが、これが何かわかる本はあるか。
- 回答
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堺鉄砲館に問い合わせたところ、鉄製であれば江戸時代後期の火縄銃の弾である可能性があるとのこと。
- 回答プロセス
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559(武器)の書架を探す。
『戦国武器甲冑事典』(誠文堂新光社)p87「鉄砲の各部名称」に火縄銃の弾丸のサイズの表があり。小筒の弾丸直径は8.5~18.3mm、中筒では23.1~26.5mmとの記載があり。重さは匁で書かれているため、『丸善 単位の辞典』(丸善)で「もんめ」を調べたところ、p356に項目があり、1匁は3.75gとのこと。利用者に伺うが、重さは計っていない。
『調べ学習日本の歴史 5 戦国大名の研究』(ポプラ社)p33「戦い方を変えた新兵器『鉄砲』」に、「火薬と鉄砲の弾丸」の項があり、玉の材料は鉛がほとんどだったが、鉄・銅・焼き物・石なども使われ、また次第に銅と鉛の合金を使った良質の弾丸が作られるようになったとの記載があり。しかし鉄砲玉の見分け方などは載っていない。
大阪歴史博物館http://www.mus-his.city.osaka.jp/ に電話で問い合わせ、状況を説明するが、収蔵品に類似品は多くなく、判断しかねるとのこと。ピースおおさか大阪国際平和センターhttp://www.peace-osaka.or.jp/ に鉄砲の収蔵があるとご紹介いただく。さらにピースおおさかに問い合わせるが、ピースおおさかの収蔵品は近代以降の鉄砲であり、ベアリング部品の可能性もありうるため判断しかねるとの回答があり。各地の火縄銃保存会等に問い合わせてはどうかとご教示いただく。
Googleで「火縄銃 保存会」で検索すると、「堺火縄銃保存会」のサイトhttp://homepage2.nifty.com/hinawajyuu/ がヒット。「鉄砲道の歩き方(堺鉄砲館)」のページに火縄銃の弾の写真があり、傷みはないが、利用者の手元のものと似ている。土日祝日の10時~16時が問い合わせ可能とのこと、当日は日曜日であったため電話で堺鉄砲館http://www.sakai-tcb.or.jp/spot/spot.php?id=378&bk=1 に問い合わせる。
電話に出られた方によると、火縄銃の玉は基本的に鉛でずっしりと重たく、また硬いものにあたると傷がつくほど柔らかい金属であるとのこと。しかし大きさからしてベアリング部品とは考えにくいので、江戸時代後期になって作られた鉄の弾丸の可能性があるとの回答があった。
利用者にはその旨と、鉄か鉛かを見分ける方法として、体積と重さでだいたいの密度を調べることが可能ではないかとお伝えし、『元素の辞典』(医学評論社)で鉄と鉛の密度を見ていただいた。
なお『日本城郭体系 12 大阪・兵庫』(新人物往来社)p93-95「津田城」によると、津田城は山城国・大和国・河内国三国の国境、河内から山城へ抜ける重要なルートにあたり、延徳年間(1489-92)に津田正信により築かれた国見山頂上(標高286.5m)のところにあった城で、天正3年(1592)に織田信長により攻め落とされたとのこと。
- 事前調査事項
- NDC
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- 兵器.軍事工学 (559 9版)
- 参考資料
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- 『戦国武器甲冑事典』中西 豪/監修(誠文堂新光社)
- 『丸善単位の辞典』二村 隆夫/監修(丸善)
- 『調べ学習日本の歴史 5』(ポプラ社)
- 『元素の事典』山崎 昶/編著(みみずく舎)
- 『日本城郭大系 12』(新人物往来社)
- キーワード
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- 鉄砲玉
- 火縄銃
- 武器
- 歴史
- 枚方市(ヒラカタシ)
- 津田城(ツダジョウ)
- 堺鉄砲館(サカイテッポウカン)
- 照会先
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- 堺鉄砲館
- 寄与者
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- 大阪歴史博物館
- ピースおおさか
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- その他
- 質問者区分
- 小学生
- 登録番号
- 1000143001