レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2013年02月12日
- 登録日時
- 2013/03/22 11:43
- 更新日時
- 2013/03/29 16:50
- 管理番号
- 2009-0102
- 質問
-
解決
明治時代に高山樗牛などが羽陽文壇という呼ばれ方をしていたことがあるらしいが、内実を知りたい。
- 回答
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羽陽文壇 については、
資料1の高山樗牛年譜に
樗牛が 「明治二十三年 (中略) 十月頃、「山形日報」 に畔柳茶舟、渡邊黙禅等と羽陽文壇(文藝欄)を創設し、活發に投稿を始める」
資料2に
「『山形日報』 は (中略) 改進党系の新聞として明治二十年一月創刊され、明治三十年に事業拡張されて 『山形新聞』 になって行くのだが (中略) その文藝欄「羽陽文壇」は充実していた。記者に渡邊黙禅、安達隆次郎 (安達峰一郎の弟) 、川崎浩良等がいて、坪内逍遥、畔柳茶舟、高山樗牛、大橋乙羽等々の寄稿を得ていた」 とあり、資料3等にも同様の記載があります。「山形日報」 に関しては資料4~7等に創刊から廃刊までの経緯等の記載があります。
畔柳茶舟については資料8に、渡邊黙禅については資料9~13 に略歴等が記載されています。
川崎浩良、大橋乙羽については、当館ホームページ上の 「山形県関係文献目録」 「人物編」 に関係文献を採録していますのでご参照ください。
- 回答プロセス
- 事前調査事項
- NDC
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- 文学史.文学思想史 (902 9版)
- 参考資料
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- 資料①明治文学全集 40/1970(918.6/メイ/40 タカ)
- 資料②山形県芸術文化史/山形県芸術文化会議編/1973(k702/ヤマ)
- 資料③近代山形の民衆と文学/大滝十二郎/1988(Yk910.26/オオ)
- 資料④山形市史 近現代編/山形市編/1980(k264.1/ヤマ/4)
- 資料⑤山形市史 別巻2/山形市編/1976(k264.1/ヤマ/2)
- 資料⑥山形県新聞史話 パートⅣ/田中邦太郎/1986(Yk070.2/ヤマ/4)
- 資料⑦山形新聞ニュース百年史/山形新聞社編/1976(k209.6/ヤマ)
- 資料⑧日本近代文学大事典 第1巻/日本近代文学館編/1977(910.26/ニホ/1)
- 資料⑨本の郷土館/松坂俊夫著/1983(Yk910.26/マツ)
- 資料⑩物語・山形県文壇史/斎藤禮助著/1977(Yk910.26/サイ)
- 資料⑪山形県芸術文化史/山形県芸術文化会議編/1973(k702/ヤマ)
- 資料⑫南山形郷土史探訪/渡辺信三/1989(Yk264.1/ワタ)
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資料⑬やまがた文学の流れを探る PART14/やまがた文学祭実行委員会編/1990(k910.26/ヤマ/14)
※( )は当館の請求記号です。
- キーワード
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- 羽陽文壇
- 照会先
- 寄与者
- 備考
- 調査種別
- 事実調査
- 内容種別
- 郷土
- 質問者区分
- 社会人
- 登録番号
- 1000129493