レファレンス事例詳細
- 事例作成日
- 2012年07月12日
- 登録日時
- 2012/09/14 14:35
- 更新日時
- 2018/08/31 19:10
- 管理番号
- 県立I2012-44
- 質問
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解決
フランスの「アランソン公」はイギリスのエリザベス1世に多くのラブレターを出し、エリザベス1世も(おそらく政治的な意図で)これに返事を出していたそうである。この「アランソン公」は、小さく背が曲がり、外見も心の内面も醜い人物であったようだ。アランソン公について、特にその醜さについての資料はないか。
※シェイクスピアの『リチャード三世』の人物像(猫背で醜男)との関連を調べている。
- 回答
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※ 高知県立図書館・高知市民図書館合築に伴い、資料に関する情報が現在の情報とは異なる場合があります。 ※
「アランソン公」は、フランス国王アンリ2世と王妃カトリーヌの4男のフランソワ(1555-1584年)のことで、1566-1576年を「アランソン公」、1576-1587年を「アンジュー公」、1578-1584年を「ネーデルラント監国」として過ごしている。詳しい系図が『世界王系図集 増補版』のp.225、略系図が『図説 テューダー朝の歴史』のp.130に掲載されている。
下記をご紹介した。
◆『映画を通して知るイギリス王室史』:pp.163-175の第六章が「結婚適齢期のエリザベス」で、映画『エリザベス』(1998年)について紹介。p.170に「カエルと呼ばれたアンジュー公」の項目がある。女王は王子を見るなり「私の可愛いカエルさん」(my little frog)とあだなをつけた。「小柄で不器量で顔にあばた」「放蕩者で、妹のマルゴとも関係があったとも言われ」「映画の中では女装する奇矯な性癖のある王子として描かれた」とある。なおpp.188-199の第八章は「恋に燃える中年女性」で、映画『エリザベス1世 愛と陰謀の王宮』(2005年)の紹介だが、あらすじの中に「アンジュー公に心引かれたエリザベスだが国民の反対であきらめた」(p.188)とあり、「結婚話への講義」の項目中にもアンジュー公との結婚話の浮上と顚末について解説がある(pp.189-190)。
◆当館所蔵本には記載がほとんどないが、下記のような英語サイトもある。特に後者は参考文献の紹介もあり。
(いずれも2012年7月12日最終確認)
Wikipedeia(英語版)「Francis,Duke of Anjou」
サイト「England under the Tudors」(英語)の「Biography of François, Duke of Alençon and Anjou 」
(以下は参考までに紹介)
◆『英国王室史話』:アンジュー公についての記載はないが、pp.258-274が「リチャード三世」で、シェイクスピアの『リチャード三世』などで描かれる容姿や心の醜さはフィクションであるということについて言及。pp.348-363が「エリザベス一世」で、結婚話を最大限、外交交渉に利用したということについて言及あり。
◆『「ワル姫さま」の系譜学』:第7講・第9講・第11項・第14項がアンジュー公の母であるカトリーヌについての講義で、「歴史上最悪のワル姫さま」として紹介されている。アンジュー公についての記載は見当たらない。なおp.128にブルボン兄弟の末弟のルイ・ド・コンデが「猫背で醜男」だったと記載がある。
◆『陰の男たち 女帝が愛した男たち2』:p.85以降の「消えた三人の男たち」で、メアリー・スチュアートと結婚した「フランソワ」(アンジュー公の兄)、エリザベスとの確執について解説されている。アンジュー公については記載なし。
◆『英国王室史事典』:pp.337-338に兄のフランソワ(1544-1560年)について「生来虚弱」として紹介があり肖像画も掲載。pp.89-90にエリザベス1世についての項あり。いずれにもアンジュー公の記載はなし。
- 回答プロセス
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Googleにて「アランソン公」×「エリザベス」のキーワードで検索⇒Wikipedeia「フランソワ(アンジュー公)」の項目や、「テューダー王家とフランス・スペイン関連の系図」、サイト「de Gouden Leeuw―金獅子亭」の「アンジュー公フランソワ」の項目などがヒット。お探しの「アランソン公」が、アンリ2世とカトリーヌの4男である「アンジュー公フランソワ」のことと分かる。
英語(Francis,Duke of Anjou)で検索すると、より詳しい情報が書いたサイトが見つかる。
系図を確認する⇒『世界王系図集 増補版』の索引から「アンジュー公」で引き、p.225の系図を確認。
『クロニック世界全史』の索引から「アンジュー公フランソワ」を引く⇒p.470にネーデルラント君主として招かれたこと、p.471にフランソワの死亡によりヴァロア王家の男子が死に絶えたことの記述があるが、容姿等について詳細なし。
フランス史に関する本をあたる⇒『フランス史2』の人名索引に「アンジュー公フランソワ」があり引いてみるが、歴史的記述のみで容姿についてはなし。ただしp.134に「王家の中で陽のあたらない場所にいた第四王子アランソン公フランソワ」とある。『フランス王室1000年史』のpp.70-78が「フランソワ二世/シャルル九世/アンリ三世」だがアンジュー公についてはp.75に84年6月に急死した記載があるのみ。『図説 テューダー朝の歴史』のp.130に略系図を発見。
イギリス王室および西欧の王室に関する本や、エリザベス1世に関する本をあたる⇒回答欄に掲載した資料を発見。
- 事前調査事項
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百科辞典類は英語のものも含めて調査済み。National Biographyの16世紀の「Elizabeth」の項目中に、アランソン公の求婚について書いてあった。当館所蔵の人名事典類には出ていないようである。
- NDC
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- ヨーロッパ史.西洋史 (23 9版)
- 系譜.家史.皇室 (288 9版)
- 参考資料
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- 『世界帝王系図集 増補版』(下津清太郎/編 近藤出版社 1987)(R/288.8/S 自館ID:1100834124)
- 『図説テューダー朝の歴史』(水井万里子/著 河出書房新社 2011)(233 自館ID:1106365073)
- 『映画を通して知るイギリス王室史』(宮北惠子・平林美都子/編著 彩流社 2009)(778.23 自館ID:1106701020)
- 『英国王室史話』(森護/著 大修館書店 1986)(288.49/M 自館ID:1100940392)
- 『「ワル姫さま」の系譜学』(鹿島茂/著 講談社 2010)(288.4 自館ID:1106048331)
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『陰の男たち 女帝が愛した男たち2』
(テア・ライトナー/著 庄司 幸恵/訳 花風社 1999)(288.4 自館ID:1102432810) - 『英国王室史事典』(森護/著 大修館書店 1994)(R/288.493/M 自館ID:1100834165)
- 『クロニック世界全史』(樺山紘一/〔ほか〕編集 講談社 1994)(209 自館ID:1103913743)
- 『フランス史2』(柴田三千雄/〔ほか〕編 山川出版社 1996)(209/S 自館ID:1100890019)
- 『フランス王室一〇〇〇年史』(新人物往来社/編 新人物往来社 2012)(288.4 自館ID:1106745217)
- キーワード
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- アランソン公
- アンジュー公
- フランソワ
- エリザベス1世
- フランス
- イギリス
- テューダー朝
- 王室
- 照会先
- 寄与者
- 備考
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Wikipedeia(日本語版)「フランソワ(アンジュー公)」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF_%28%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E5%85%AC%29
「テューダー王家とフランス・スペイン関連の系図」
http://opera.gasuki.com/nazo/tudor.pdf
サイト「de Gouden Leeuw―金獅子亭」の「アンジュー公フランソワ」
http://nassaublue.net/persons/neighbors/francois-duc-danjou/
Wikipedeia(英語版)「Francis,Duke of Anjou」
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis,_Duke_of_Anjou
サイト「England under the Tudors」(英語)の「Biography of François, Duke of Alençon and Anjou 」
http://www.luminarium.org/encyclopedia/alencon.htm
- 調査種別
- 文献紹介
- 内容種別
- 質問者区分
- 登録番号
- 1000111208